ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

働きたくなかったあの頃の話

今思えば、就活もゲーム感覚でやってしまえばよかったのかもしれない。

小学生の時にハマったポケモンみたいに、地道にレベルを上げてジムへ戦いに行く。戦いに行く前はセーブしておいて、負けたら電源を切っちゃえばいいから負けたって痛くもかゆくもない。別に本当にポケモンマスターを目指してるわけではなく、ただゲームをクリアしてくのが面白いってだけ。

そんな感覚で就職活動もやれたと思うのだ。

 

実際、大学受験まではそうだった。

どの大学に入ってどんな研究をするのかなどのビジョンは曖昧で、ただ偏差値を上げてテストで高得点を取るのが面白かったから夢中になっただけだ。偏差値が低いとあれこれ大学を比較してみなければ進路を選べないだろうけれど、ある程度まで上げてしまえば、選択肢はむしろ少なくなって選ぶのはラクだった。

あの時と同じ感覚で、就職活動も人気企業ランキングの1位から順番に受けるくらいの軽さがあってもよかったのかもしれない。

 

 

しかしわたしは選べなかった。

徒に重く考えてしまった。あるいは何も考えていなかったとも言える。

 

「いいのだろうか、わたしはまだ本当にやりたかったことをやれていないのに、今までと同じノリで選んでしまって」

そんなことを考え始めたのだ。

 

今になって考えると、それまで見てきた「父親の背中」が極端だったこともよくなかったのかもしれない。

わたしの父の仕事はいわゆる激務で、幼稚園、小学生の頃は同じ家に住んでいるのに会えない、などという現象がよく起きていた。父は土曜も日曜も職場へ行っていた。そんな働き方を、わたしは普通だと思っていた。正社員になったら自分もあんな風に、あるいはそれ以上に激しく働くのだと何の疑問もなくぼんやりイメージしていたのだ。そんな働き方がかっこいいとも思っていた。むしろ9時5時の公務員みたいな仕事はカッコ悪いとすら。

 

でもそうなると、大学を出たとたん生活のほとんどを仕事に捧げるような人生が始まるわけで、子どものころからずっと思い描いていた夢とは、完全に道が分かれてしまうのではないか。

あっちへ進んだら、もう戻れなくなるのではないか……。本当にやりたかったことを、やれないまま人生が終わっていくのではないか……。

 

身動きが取れなくなった。

 

実際にはそれでも、ぽつりぽつりと企業を受けてはいたが、当時は就職難のピークと言っていい時期で、わたしみたいな中途半端な態度ではどこにも進めなかった。焦ってはいたが、なんでもいいから決めないとという気持ちと、これまでゲームで勝ってきたのだからこれからも勝たなければという気持ちと、どこへも行きたくないという拒絶の気持ちが渦巻いて整理がつかず、結果、あろうことか大学へ行かなくなった。

そしてわたしは留年した。しかもそのまま3回も。

毎年3月になると不思議で仕方がなかった。なぜもう1年大学生をやらなくちゃならないんだと。試験さえ受けていないのだから当然なのだが、自分では何が何だかわからなかった。

出口のない迷路にいるようだった。

いや、主観としては、道を間違えた覚えはなかった。ずっと間違えようのない一本道だったと思う。歩いていれば出口に出られると思って歩いてきた。実際、周りのみんなはそうだったじゃないか。みんな、一本道を当たり前に歩いて当たり前に出て行った。今もその向こうの一本道を歩いているはずだ。なのになぜ、わたしの道だけ出口がないのだ。

もしかしたら、わたしのこの道は円環になっているのかも。わたしはここから一生出られないのかもしれない。

 

25歳になっていた。就活を先延ばしにして大学院に行った子たちでさえ就職したころだ。

大人になれないまま、年齢だけ増えていく。

当時、わたしは別に引きこもっていたわけではなく、普通にバイトへ行き、学生らしく平日のショッピングや映画鑑賞を楽しみ、なんならエキストラとして映画撮影に参加することすらあったわけだが、社会に対して申し訳ない気持ちがどんどん大きくなっていった。平日に映画へ行くと、電車の中にいる他の大人たちは当然みんな仕事へ行くような恰好をしているのだ。わたしだけがあちらへ行けないままでいる。わたしは社会に不必要な人間、社会から取り残された人間。そう思った。

「本当にやりたかったはずのこと」さえ、なんだか不完全燃焼のままだった。こんなことなら何も考えず就職活動を頑張っておくのだった。しかしそう思ってももう遅い。すんなりと就職した子達と、3年も留年しているわたしとでは、もうどうにもならないほど差ができていた。あの時拒否した道にさえ、もう戻れなくなっていた。「選ばない」という選択がこれほど重大な結果を招くとは。いや、わかっていたはずなのに目をそらしていた。

もう消えてしまいたい。生まれてこなければよかった。。。

 

しかし死んでしまうほどの勇気はなく、わたしはとりあえず円環状の道の壁に小さく穴をあけた。その穴がどこへつながっているかなどもうどうでもよかった。とにかくここから出なければ。そう思ってなんとなく目の前の壁の向こうへ出た。つまり就職をした。

そうやってここへ来た。26歳の時のことだ。

 

 

就職してからは、自分の価値がいかに平凡なものであるかを思い知るようなつらい瞬間が多かった。つまり、とてもつまらなかった。うちの組織の「指導的地位に占める女性の割合」が全国平均よりずっと低いこともあとから知った。もっとよく調べておけばよかったと少し後悔している。

けれど、あのとき「なんでもいいから外へ」と這い出したその選択は、正しくもなかったけれど、別に間違ってもいなかったなと思う。社会人になったからこそ見えたことはたくさんあるし、いい出会いはたくさんあったし。あの時点ではもう他に選びようがなかったのだし。

 

「その人生がこの先ずっと」と重く考えるからしんどいし怖くなるのだけれど、実際にはきっとそんなことはないし、「とりあえず次の場所へ進む」ための選択は、必要で、悪いことじゃない。と今は思う。

 

とは言え、じゃあ6年前に戻ってもう一度「とりあえず次の場所へ進む」ための就活を頑張ってみるかいと言われれば、それは御免こうむりたいけれど。だってきっとわたしは、「夢」みたいなふわふわしたものを追いかけてまた同じことを繰り返すに違いないからだ。

そう、ぐだぐだして選べていないようでいたあの頃だって、わたしはちゃんと大事なものを選んでいたのだ。結果を出すまでには至らなかっただけで。

そしてこれからもそうすると思う。時には人と違うペースでしか進めなくなると思うし、自分で自分の首を絞める結果になることだってあるだろうけれど、自分で納得できないものは、選ばない。というか、そういう生き方しか、たぶんできないのだ。