ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

死んだほうがいい人

今朝歯を磨きながら、大阪の天王寺駅で男が金属バットで女の子を殴ったという事件のニュースを見ていた。「目が合ってにらんできたから」というのが犯行理由だというのを聞いて、「ああいうのは頭が病気の人がやるんだから動機も何もないよなあ」とぼんやり考えた。

つまり「頭がおかしい人」という、自分と違う種類の生き物がやったのだ、と思ったのだ。被害者を思って恐怖と同情を抱いても、犯人に対して哀れみは感じないわけである。

 

わたしもずいぶんまともになったものである。

 

数年前、千葉県で連続通り魔事件があったのだが、当時そのニュースを見るたびに胸が痛んた。

わたしとその犯人、何が違うのだろうと感じて。

そしてワイドショーのコメンテーターや街頭インタビューの発言を聞くたびにわたしはますます精神的に追い詰められていった。

彼らは「まともな人」からのまともな意見として、その犯人を「頭のおかしい人」として扱い、理解不能だと言った。当然である。いま当時の記事をあらためて読むと、その犯人の言動は意味不明で、到底理解できない。社会から抹殺されるべき人物だろう。

 

けれども当時のわたしは、いつか自分もあんなふうになるのではないかと思ったのだ。世の中から逸脱して、周囲を傷つけるだけのモンスターに成り果て、そしていつか社会から抹殺されるのではと。そしてそんな私達を、誰が理解してくれるだろうと思った。

とても怖かった。

被害者がいるのに犯人に共鳴している自分が。わたしも同じ種類の醜い生き物なのだと感じた。

モンスターは生きているだけで世の中の損害となる。モンスターでも誰かに理解してほしいし誰かの愛がほしい、しかし周囲に害をなすモンスターが誰かから理解されるわけがないし、そもそも理解される価値がない。そういうわけだから孤独になるのは当然である。生まれながらに消えるべき存在なのだ。

だからモンスターには、苦しみしかない。

しかし、ではなぜわたしは生まれてしまったのだろう。

 

その事件より少し前のことになるが、インターネットでエゴグラムというものを知って、なんとなく試したことがある。するとその結果はほとんどcで、1個か2個bが出るくらい、というありさまだった。解説を読むと、「お前のような人間のクズは周囲に迷惑をかけるだけだから、極力他者とかかわらないで引きこもってろ」というような主旨のことが書かれていた。

わたしはそれほど醜い人間だったのだ。

 

 

いまエゴグラムをやるとオールbが出る。なんの面白味もないし性格が良いとも言えないが他人に迷惑をかけることもない、そんな人間になったということだ。

だからいまテレビで凶悪犯罪のニュースを見ても頭のおかしい人がやったことだとしか思わないし、ああいう人はきっと治らないからできるだけ長く塀の中にいてもらいたいと思う。

 

これは一応、わたしが成長した、ということでいいのだろうか。

しかし本当に?

あの犯人たちとわたしは、本当は地続きなのだ。それを忘れてはいけない。いつかまたあんな日々に戻らないとも限らないのだから。

わたしは生きていることをすこし反省する。