ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

たまには常識の箱をひっくり返してみる

社会人になってからは、比較的「普通の人」に囲まれている。

わたしもそれに染まってきているような気がする。

 

小中学校の時のクラスには、常に問題を起こす不良がいたり知的ボーダーの子もいたし、高校は偏差値が高かったから周囲は変人だらけだった。大学に入ってからは映画制作とか政治系のサークルとか海外ボランティアとか葬儀のバイトとか、興味の赴くままにいろんなところへ首を突っ込んでいたし、何より自由に生きることが許される東京に住んでいたから、やはり変わった人たちがたくさんいた。あと、3年も留年してる自分もたぶん普通とは言えなかった。

 

でも、中途半端な田舎の、中途半端に大きくも小さくもない会社で働いている今は。

周りはみんな普通の人ばっかりだ。

いや、もちろんみんながみんな、根っからの普通人というわけではなかろう。ただ仕事をするうえで常識の枠の中で動かざるを得ないから、それぞれの一番普通な一面を職場では発揮している、というだけなのだろう。たぶん。

 

嫌なのは、それに染まりつつある自分がいるということだ。

丸くなったと言えば聞こえはいいが、本来の自分を殺していくようで自分のことながら気味が悪い。とくに「良くない」と感じるのが、常識を外れた行動や人たちに嫌悪感を抱くことが増えてきたことである。

 

人並み外れたエネルギーを持った人を傍若無人な迷惑者と感じたり、うまく人に合わせられない人を努力が足りない怠け者と感じたり…。

自分はいったい何様のつもりか。わたしはこれで良いのか? これが大人になるということなのか?

 

怖くなって、慌ててバイト時代の知人に連絡をとり、久しぶりに飲みに誘った。

 

彼は10コ年上の男性で、既婚者で子どももいて穏やかな印象がある一方で、中卒で20代は長いこと定職についていなくて、現在は友人と小さな会社をやっているようだがよくよく聞くとどうも脱税しているっぽかったり、若いころ無目的にタイでブラブラしていた経験があったり、小学校のころから友人相手に商売をしていたり、海外映画とヒップホップとスケボーが趣味だったり、とまあ、わたしや今現在わたしの周囲にいる人たちとはおよそ正反対の人だ。

妙に話が合うのでわたしがそのバイトをやめた後、半年おきくらいで飲んでいる。

 

土曜日の夕方に横浜駅で待ち合わせをして、おしゃれなBARなんかには目もくれず、我々はもつ鍋を食べることにした。

 

今回は、彼の友人二人が同時期にホームレスになった話や、高校時代、毎日昼食を食べずにレコードを1枚ずつ買っていた話や、当時法に触れるような仕事をしていてお金があり、そのまま学校をやめた話だとかを聞いた。

彼の話はいつもなんだか楽しそうだ。幼馴染がホームレスになって自宅に転がり込んできた話さえも笑い話みたい。

わたしの常識で固まりかけていた脳みそがほぐれていくのがわかる。

ああよかった、どんなことをしていても人間は生きていけるのだ。(さすがに脱税や違法な商売はどうかと思うけど)

それがわたしは妙にうれしい。

 

「おれはもう子どもがいるからあんまり無茶はできないですけど、しゅうさんは若いうちにもっと無茶しようとは思わないですか?」

と聞かれ、そうですねえと腕を組んだ。

「無茶」ではないがやりたいことはあり、しかし最近は手を付けていなかった。でも彼と話をしていて、もしかしたら何でもできるのかもしれない、わたしは自由なのかもしれない、とちょっと思った。

人生はそんなに怖くないのだ。

 

 

いつもは割り勘なのだが、今日はお互い大きいお金しか持っていなくて、わたしが1万円札を出した。次はおごってくださいと言うと、じゃあまたすぐ飲みましょうと言ってくれた。帰りは改札口まで送ってもらい、「おつかれさまです」と、もう仕事仲間じゃないのにそんな挨拶をして、その日は別れた。

「友人」と呼ぶにはちょっとおぼつかない関係ではあるが、彼とは細く長く続けばいいなあと思っている。