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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

『君の膵臓をたべたい』を読んで ヒロインと主人公はなぜ仲良くなれたか 愛ありきで世界を見る

読書 家族と 雑感

遅ればせながら今年の本屋大賞2位の小説を読んで、思ったことがあったので記事を一つ。

先に言っておくと、多少ネタバレがあるのでこれから読む方は今回の記事は読まないでください。

それから、多少(かなり?)disりが入っているのでこの本がとてもとても好きという方も読まないでください。感じ方の違いは各々あって、それをわかっていても自分の好きなものをけなされるのって、あまりいい気はしないと思うので。最終的には「面白い本」ということでまとめるつもりではいるけれど。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

 

最近Amazonか古本ばかりだったため、リアルの新刊書店に入るのは1,2か月ぶりで、「本屋大賞」の文字と、その下のピンク色の本がピカピカと光っているように見えたのだ。

リアルの本の訴求力の高さよ。表紙に描かれた漫画っぽいイラストに嫌な予感はしたものの、これはもう、買わざるを得ない。

 

……しかし嫌な予感のほうが当たってしまった。

表紙からも予想できた通り、文章がラノベっぽいのだ。軽い。軽い。どこまでもライト。物語は会話中心で進む。わたしは苛々してくる。脳内で動き出す登場人物(というより「キャラ」といったほうがしっくりくる)がどうにもアニメっぽいのだ。登場人物のくせに「生きてる」というより「演じている」。小説を漫画感覚で読める人はいいんだろうけれど、わたしはそういうのは求めていない。

 

でもこれは買ったわたしが悪いのだ。合わないとわかっていながら選んだのだから。

とはいえ文章が読みやすいのでサクサク読める。これがもしセカチューのパクリみたいな終わり方をしたら床に叩き付けよう、ともかくその最後まで読もうとページをくり続けた。

 

ストーリーはいわゆる難病もの。

不治の病に侵された少女と、スクールカースト最底辺で友達がいなくて他者に興味もない少年が、ひょんなことから交流を深めていって、……という話。

 

この主人公の男子が本当に嫌な奴なのだ!

いちいち癇に障るしゃべり方をする。愛嬌も質問も、ぜんぶ皮肉で返さないと気が済まないらしい。

そんなだから友達いないんだよ。その中二病みたいなしゃべり方、気持ち悪いから早くやめたほうがいいぞと脳内で散々突っ込みながら読まなくてはならなかった。

 

ヒロインは明るくて芯があって魅力にあふれているというのに、どうしてこんなやつを構うの? 中盤、主人公はヒロインと仲良くすることでクラスメイト達から白い目で見られ始めるのだけれど、わたしも彼らと同じ気持ちだった。

 

ところが終盤、ヒロインが言うのだ。「きみがすっごくいい人だって、皆に教えてあげたい」と、主人公に向かって。

 

え?え?なんで?どうして?何をもってそう判断した?

 

あわててそれまでの二人のやり取りをパラパラと読み返してみたが、わたしにはわからなかった。主人公が「いい人」であるということが。テンプレ展開に苛々していてちゃんと人物像が頭に入っていなかったせいもあるかもしれないが。でもわたしは最後の一文を読み終わるまで、いや、読み終えてもなお、主人公をちょっとうざいやつとしか思えなかったのだ。

 

この作品は一人称で語られている。主人公の良さは、普通なら読者が一番気づきそうなものである。しかし読者すら気づけないものを、ヒロインが気づいた。彼女はなぜ、気づけたのか。

 

 

ちょっと個人的な話になるが、ふと思い出したのは4つ下のわたしの妹ちゃんのことだ。

彼女は、やや「ツン」が多すぎていささか「デレ」が少なすぎるツンデレちゃんで(正確に表すとしたら「ツンツンツンツンツンツンツンツンツンツンツンデレ」くらいだろう)、とてもかわいい。

そっけない態度や見下したように冷たく鼻で笑うさまに、悲しくなる時やいらぁっとすることも多いが、……とても多いが、でもすごく真面目で芯が強いし、つれないことを言いつつなんだかんだ家族を愛してくれているのはわかっている。感情表現がぶっきらぼうなとこがまたかわいい。こんないい子、めったにいないぜと姉は本気で思っているし、本当に本当に幸せになってほしい。そこら辺のへらへらした男にはうちの妹ちゃんはやれない。軽い気持ちで近づくようなやつはねえちゃんがぶっとばしてやる♡と常々思っている。

 

だが、妹ちゃんのこんな態度をまともに浴びて彼女のいいところに気づける他人はいるだろうか、と考えると、ちょっと心もとない。

実際には、よそでは「ツンツンデレ」くらいにとどめているらしく、それなりにお友達もいるようだけれど、もしわたしが、彼女と他人として知り合っていたとしたら、そのトゲトゲした物言いに怖気づいて、きっと仲良くなれなかったと思う。

 

じゃあどうしてわたしは妹ちゃんを大好きなのか。その答えを探すには、彼女が生まれたときにまでさかのぼる。

彼女が我が家にやってきたのはわたしが4歳になるかならないかのころ。当時2歳の妹と競い合うようにしてかわいがった。二人でベビーカーの右と左から覗き込んでおもちゃを振って見せたり赤ちゃんに触ろうとしたりした。あのときのかわいくてかわいくて仕方がない気持ちが、二十数年たった今でも続いているのである。

そう、つまり最初から愛があったのだ。

だから彼女のかわいくて優しい言動一つ一つを、見逃すことなくぜんぶ集めることができ、ますます姉バカに拍車がかかったのだ。

わたしの妹ちゃんへのかかわり方は、「愛ありき」のものだった。

 

 

もしかしたら同じことがこの作品のヒロインにも言えるのではないだろうか。ヒロインは初めから「愛ありき」で主人公に接していたのではないか。

ヒロインは感情表現が豊かで友達も多い。17歳にしてこれまで付き合った男の人数は3人だし親友と呼べる友人もいる。

これはヒロインが人から好かれやすい人物だとも言えるが、ヒロインが他者を好きになりやすい性格だとも言える。

 

きっとこの子は、だれに対してもまず、愛をもって接しているのだろう。

スクールカースト最底辺でだれとも関わろうとしない主人公に対しても、「根暗で気持ち悪いやつ」なんて印象は初めから持っていなかった。それどころか「他者との関わりがなくてもアイデンティティを形成できる人」という印象すら持っていたのだ。

「愛」という表現が大げさであれば「ポジティブな印象」とか「興味」程度の言葉でもいい。

ヒロインは初めからだれに対しても、もちろん主人公に対しても「ポジティブな印象」と「興味」を持っていた。だから彼の中二病っぽい言葉に惑わされなかった。その言葉の奥の、彼の本質を見ることができた。

 

ヒロインはきっと、「彼は図書委員の仕事を教えてくれた」とか「誘ったらお茶に付き合ってくれた」とか、彼の行動を一つ一つ見つけることができていた。そう、一人称で綴られたくどくどした文章に埋もれ、読者にこそ見えにくくなっていた彼の本質を、見ることができたのだ。

 

 

 

どうしてわたしがこんなことを考えたのかというと、最近ちょっと「自分って何も見えていないのかも」と思うようなことが立て続けにあったからだ。

 

たとえば、A子ちゃんは口を開けば他人の愚痴ばかり、B子ちゃんは反対に「私の知り合いのすごい人自慢」しかしない。C男くんはこの本の主人公そっくりで発言に嫌味の多いこと多いこと。

そんな人との会話に、わたしはイライライライライライラ。

表面的ににこにこしながら、この人とはあんまり仲良くしないようにしよう、とこっそり思っていた。

でも、よくよく見ると、A子ちゃんもB子ちゃんもC男くんも、別に人から嫌われているわけじゃないのだ。A子ちゃんはなんだかんだ「いつもの仲良し組」の中で楽しそうにやっているし、B子ちゃんは同世代の女の子の友達は多くはなさそうだけれど、男の子たちや年上の人からはすごく好かれている。C男くんのシニカルな発言は、いつも場を沸かせる。

 

どうしてだろう。どうしてみんな、あの子たちのことを嫌いにならないのだろう。わたしには見えてない魅力が、その目には映っているというの?

 

どうやらそうらしいのだ。

たぶん、A子ちゃんの愚痴は自身の真面目さや責任感の強さからくるもので、B子ちゃんはだれに対しても人懐っこく話しかけにいく。C男くんの嫌味は、それが彼なりの人を笑わせるスタイルなのだ。

それが、みんなには、見えているらしい。

 

わたしには見えない。たとえその奥にもっと別の本質があるとわかっていても、「彼らの発する言葉の表面」が邪魔をする。それに触れるのが嫌で、心がシャットダウンする。

 

この『君の膵臓をたべたい』もそう。

ご都合主義的なストーリーと主人公のひねくれた口調に惑わされて何も見えなかった。

でもヒロインは「君がすっごくいい人だって、皆に教えてあげたい」と言うし、ネットで検索すると「感動した!」「泣いた!」という高評価レビューの嵐だし、良さがわからないわたしはますます苛々がつのって、少し時間がたってようやくいろいろなことがつながり、「ああまた、皆にはわたしに見えないものが見えているようだ」と気づいたのだった。

 

 

もちろん、小説の場合は読者の好みがあるから、合わないものはしょうがない。

でも現実の世界で人と関わるとき、この作品のヒロインみたいにあれたらいいなと思うのだ。そのほうがきっと面白いと思うから。

人間、そんなに悪い人もつまらない人もいないのだ。どんなにドライな人でもその人なりの思いやりというのがあるし、どんなに普通そうな人生でも、生きていればその人だけの経験をするし、それぞれそれなりに一生懸命生きている。そこに見向きもしないのは、ちょっともったいない。

わたしはもう少し、言葉の先を見るようにしよう、と、この本を読んで思えた。作者の狙った感想とはだいぶズレているだろうけれど。

 

 

 

今ひとたび、ヒロインの遺書の部分だけ読み返してみる。

友情にも恋愛にも帰結しない、深く爽やかな告白。素敵だ。

悔しいけれど、この本が大好きという人の気持ちも、わかるなーと、この遺書を読むと感じる。