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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

母の日に花を贈る理由

去年に引き続き今年も、母にはプレゼントを贈った。

お菓子とプリザーブドフラワーのアレンジメントのセット。

amazonの母の日特集の中から予算に合うものを選び、送り先の住所を指定して注文し、クレジットカード決済で購入した。

ぜんぶスマホで済んだ。お昼休みの数十分で買い物終了。去年に引き続き、実物は見ていない。愛はあんまりこもっていないと思う。

 

なのになぜ贈り物をするのか。

それはたぶん、「これで色々チャラにしてもらおう」というせこい考えがあるからだ。

 

わたしはどっちかというとお父さん子、つまり、ファザコンである。

わたしは父を尊敬している。父とわたしは性格や考え方、感じ方がよく似ていると思う。臆病で内気なところとか、そのくせ予期せぬことを面白がるところとか、自分なりのレシピを考案しようとして料理を失敗するところとか、友達の数が少ないところとか、議論を楽しむところとか。

そして父は頭がよく、職場でも信頼されているように見える。

つまり、父はわたしのような人種の上位系なのだ。

だから、父がやってきたように進めば間違いないのだと感じるし、父の言うことはほとんどそのまま信用する。父と出かけることも大好きだ。

 

一方、母とは価値観が正反対だなと感じることが多々ある。

母は人とのかかわりを大切にする人で、無理してでも仲間の集まりに出かけていくリア充タイプ。他愛無いおしゃべりに充実感を抱く。出世とか功績みたいなものは彼女の中でそれほど意味を持たず、平凡な家庭を築くことが一番の幸せ。自然、娘にもそれを望む。

だから母と話していると、自分の人生を丸ごと否定されているような感じがして悲しみが止まらなくなってしまうことがよくある。わたしは母の望むようには生きられないのにと。でも母の価値観は人として圧倒的に「正しい」ので反論はできない。自然と、鬱屈した思いも溜まって心のどこかで母を馬鹿にしてしまう自分がいる。

大切な人であることは間違いない。愛してくれていることもわかっている。思春期の反抗心は薄れてきているし、美術鑑賞など趣味が似ているため、友達のように仲良くすごすことも多い。が、尊敬も感謝も、今のわたしではまだ、できない。

 

だから母の日のプレゼントは、せめてもの罪滅ぼしなのだ。子どもらしくまっすぐ感謝することができないことに対するお詫び。

かなり見え透いていると思う。あの子はモノだけ送ってよこしてろくに帰省もしないと母も感じているだろう。

でもしかたがない。

それは、感謝も尊敬もできない人にそれでもあなたが大切ですと伝えるために、わたしが思いつく唯一の方法なのだから。