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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

急にさびしくなる日

日常

気分はどこからやってくるのだろう。

ときどきたまに、ふっと落ちてきたように一つの気分に染まるときがある。

 

たとえば先日、カウンセリングの帰りにカフェでランチと洒落こんだ。

カレーを店員さんに注文しおわり、彼女が去っていくその背中を眺めていて、ふっと、

 

わたし、自分の力で生活しているのだなあ

 

と思った。

その考えが降ってきたみたいに突然そんなふうに感じたのである。

 

考えてみれば今のわたしは、自分の稼いだ中から税金や保険料を引かれ、貯金をし、奨学金を返し、家賃を払い、光熱水費を払い、食べ物、日用品から着るものや化粧品までを買い、自分のお金で病院もカウンセリングも行くし旅行へも飲み会へも行ってマラソン大会にも参加しているのである。そうして余ったお金でこんなふうに何でもない休日にカフェでゆっくりしたりもするのだ。

 

それが社会の仕組みというもので、正社員になれば大体みんなそうなれるようにできていると言ってしまえばそれまでなのだが、また、生活はいささかカツカツで貯金も不十分なのだから威張って言うことではないのだけれども、とにもかくにも、学生の頃は当たり前にできなかったことを、いま当たり前にやっている。

そのことに急に思い至ってカフェの片隅で、静かに驚いたのだ。

 

何がスイッチになったのかはわからない。本当に突然「思い出す」ようにそんな気分に染まったのだった。

 

 

「思い出す」気分が良いものだけとは限らない。

 

今日は会社帰りに近くの図書室(図書館の分館のようなところ)へ行き小一時間勉強をして、図書室が夜の7時に閉まるというからおとなしく引き上げ駐輪場で自転車の鍵をはずした瞬間、

 

 さみしい

 

という気分が唐突に降ってきた。本当に突然「思い出す」ようにそんな気分に染まったのである。

それは何の前触れもなく、それどころか「いつものようにだらだらしたアフターファイブを過ごさず勉強してやったぜワタシえらい」とドヤ顔でいてもいいような状況でどうしてかいきなり、気分がずぶ濡れになった。自転車の鍵、はずしただけなのに。

 

突然のことに戸惑って理由を探し、「おそらく、中学生みたいに図書室で勉強して自転車で帰るっていうシチュエーションにノスタルジーを感じるとともに、あのころと違って独り暮らしの誰もいないアパートへ帰るだけだということを思い出したからだ」と結論付けた。

しかし解決法までは見つけられず、どうにもこうにも、そんな気分がまとわりついて離れない。

 

誰もいないアパートへ帰るというのはつまり一緒に暮らす家族がいないということだ。わたしは結婚の予定はなく、願望もない。(他人の人生を台無しにしてしまいそうなほど家事、主に掃除が苦手だからだ。)であるからこの先ずっと、一人暮らしのアパートへ帰る生活が続く予定。たぶん、あと50年か60年くらい。50年かあ……。おばあさんになったわたしが一人でこの道を背中を丸めて歩き安アパートへ帰る姿を想像する。自転車を押しながら月を見上げる。満月。今夜の月はいつもより赤い。月を見ているとまたずううんとさびしくなってくる。たぶん、記憶の中の「いつか見た月」の映像と重なり合って、もう触ることのできない過去を、何か思い出しそうで思い出さないもどかしさがノスタルジーに拍車をかけるのだ。

 

今日はどうかしている。生理でもないのにこれはおかしい。本当に、自転車の鍵をはずしたその瞬間だった。とつぜん「さびしい」が落ちてきた。なんなのだろう、この現象は。

 

さびしがりながら首を傾げる。

訳もなく泣きそうだ。早く楽になりたい。でもなかなか、染みついた気分はとれそうにないと思った。

 

 

ところが。

今度はうちに帰ってご飯を食べて「さて、風呂入るか」と立ち上がった瞬間、「さびしい」はわたしの体からぽろっと落ちた。

取れるのも突然で、急に度忘れしたみたいになくなってしまった。

今日くらいは入浴剤を入れて長湯しないことには気が休まらないと思っていたのに、いつも通り20分でシャワーを済ませた。なんともなかった。

 

 

なんだったのだろう、あの現象は。

さっきまで目の奥で涙がスタンバっていたのにもうどこかへ行ってしまっている。

あしたもまた、いつも通り仕事をするのだろうなっていう、当たり前の気分だけがある。

 

気分は一体、どこからやってくるのだろう。

それがわかればもう少し、日々が楽になりそうなものだけど。