ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

カウンセラー先生の卒業

今週のお題「卒業」

 

春は別れの季節である。

薄っぺらな日々を送るわたしにも、すこしばかりの別れはやってくる。

 

 

わたしは筋金入りのめんどくさがり屋である。

そん所そこらのめんどくさがりと一緒にしてもらっては困る。なにしろ特段の理由もなく大学を3年も留年しているほどの人間なのだから。

 

面倒だなーと思っていたら授業の始まる時間を過ぎていて、そんな感じで何年も時間が過ぎていた。

最低限アルバイトはしていたはずだが、よくよく思い返すと、バイトすらしていない期間も実はある。その頃何をしていたのか、今となってはまったく思い出せない。

たぶん、家でゴロゴロと読書かネットでもして、昨日や明日と全く変わらない今日を送っていたのだろうと思う。何かしらブログのようなものを書いていたかもしれないが、書いていなかったかもしれない。そもそもそんな生活ではブログネタもなかったはずだ。

心の病なんてものでもなかったため、「病みネタ」的なものすらなかったわけで。

 

 

さて、そういうわけで4月に就職して想像していたよりずっと楽な職場に安堵し、一度だけ寝坊して遅刻、という失態をやらかしたもののそれほど大きな問題も起こさず働いていたにもかかわらず、どこか自分を信用できずに、「きっとそのうち元に戻るに違いない」と確信に近い思いを持っていたわたしは、「ことが起こる前に策を打っておこう」と、初夏のころ、カウンセリングの予約をしたのだった。

 

めんどくさがりがカウンセリングで治るとも思えなかったが、どうしてもやばくなりそうなとき、本格的に後戻りできなくなる前に他者から客観的なアドバイスをもらう仕組みを作っておくことが必要だと考えた。

 

リア充の皆さまは「はてな? そんなときは周りに相談すればよいのでは?」と思われるかもしれないが、わたしは事態がひどくなればなるほど殻にこもりがちになる性分の人間なのである。

昔よく母にも呆れられた。もう少し人を頼れる人になりなさいと。

いやいや、それができれば苦労はしないんですよ母上。

でも、お金を払って相談する場所なら、まだ、なんとかなりそうな気がした。殻に閉じこもったまま現状を訴えるなどということも、そこでならできそうな感じがした。

 

 

大学院併設のカウンセリング施設。

心理学の大学院生や、院を卒業したばかりの臨床心理士の卵が、研修のために安くカウンセリングを行ってくれる場所である。

とりあえず電話をして、「いま別に困ってないんですけど、予防のためのカウンセリングはありですか?」と聞いたら、構わないとのことだったのでお願いした。

 

担当のカウンセラー先生は目がくりっとしたかわいらしい男性で、そのプーさんのような体形はまるで「癒し」という言葉を具現化したようであった。

研修生なのだからきっと年下だろう。けれどわたしはその人のことを先生と呼んだ。

 

「今は何も問題ないんですけど」と前置きをして自分がいかに重度のめんどくさがりかを説明する。

先生はにこにこと話を聞いてくれ、わたしのつまらない冗談にも笑ってくれた。

わたしは以前ケータイキャンペーンのバイトをやったことがあって、それはコスチュームを着て店頭で一日中にこにこしている仕事なのだが、その経験から、自分の感情に関係なくにこにこし続けるというのは想像以上にものすごく疲れることであると身をもって知っている。

カウンセラーは大変な仕事だなあとしみじみ思った。

 

結局、「今困っているわけではない」ので1,2回行ってそのまま半年以上も予約を入れていなかった。

「何かあったときに相談する場所」を決めておけば、それで十分だからだ。

 

その先生から電話があったのは2週間前のことである。

「3月で契約が切れるのでここをやめることになりました」

との連絡だった。

 

なにもわざわざ行くことはないんだけれど、このままさよならってのもなあとさびしく感じてしまい、わたしは半年ぶりでカウンセリングの予約を入れた。

 

半年ぶりに合う先生はなんだか前よりキリッとして見えた。

以前はいかにも学生さんといった感じの、くだけた服装と髪型(少し染めていたように記憶している)だったが、今日は黒髪をさっぱりと短く整え、ジャケットを羽織ってネクタイまで締めていた。

 

社会人になるのだなあ。と、なんだかしみじみしてしまう。

そしてそんなことでしみじみしてしまう程度には、自分も社会人になったのだなあとさらにしみじみ。

 

小部屋に入り、この半年間自分がいかに駄目人間であったかを報告し、すこしばかりのアドバイスをもらうと、もう終わりの時間になっている。

 

恐る恐る

「次もカウンセリングの仕事をされるんですか」

と訊ねると、「はい」と返事され、それだけで半分安心する。

カウンセラーは働き口の少ない仕事だと聞く。先生はカウンセラーになりたかったからここで研修しているはずなわけで、その返事はつまり先生の夢が無事叶うことを意味していた。

 

でも次に先生が言った「ある病院で働くことになりました」の言葉で、その未来をちょっと想像して胃がキュッとなった。

病院とは、精神科だろうか。そうだとしたらそこに来る患者には、きっとわたしのようなゆるいクライアントはいないだろう。

たぶん鬱病とか、リストカットを繰り返してしまう境界性人格障害とか、とにかく少なくとも「日常に支障をきたすほどの病気や悩みを抱えた人たち」が来るはずで、そこでのカウンセリング業務が生半可でないことは、素人でもわかる。

 

先生自身が心をすり減らしてしまわないか、他人事ながら不安になってしまう。

「病院で働く」と聞いた瞬間に脳裏に浮かんだイメージには、はっきりと、青みがかった暗い影がさしていた。病院というと仕事内容がきついだけでなく、長時間残業のイメージも付きまとう。

 

まあそこはプロのカウンセラーになるのだから、他のカウンセラーにかかったりしながらもなんとかうまくやっていくのだろうけれど。

 

「大変でしょうけど、がんばってください」

とわたしは頭を下げた。どうか先生の未来が明るいものでありますように。

 

わたしは予防のためにカウンセリングに来ていて、その予防効果が出ている限り病院にかかることはないだろうから、(そもそも「めんどくさがり」で病院にかかるなんて聞いたこともないが)おそらく先生とはこれが最後なのだろう。

たった3回、しかもそのうち2回はわたしが遅刻をかましているため、先生と話したのはトータル2時間程度。それでも別れとなると名残惜しいもの。

だって1,2か月おきに訪れる「仕事行きたくない病」にかかったときはいつだって「とりあえず今週生き延びて、来週も死にそうだったら先生に電話しよう」と思いながら、なんとかかんとかこの半年をやりすごしてきたのだから。

 

けれどこれは先生の門出なのだ。

祝福すべきことだ。

先生はこれから社会人になる。

きっとそこはこれまでとは比べ物にならないような戦場なのだろう。

でもそれは絶対に、必要とされる仕事。

 

だからどうかそこで踏ん張って、先生がいつか立派なカウンセラーになれますように。