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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

震災5年目で南三陸町にボランティアに行ってきた話。

震災から5年ということでこの週末はメディアでもいろいろと特集をされていた。

 

被災しなかった人たちはあの時の悲しみも絶望感もだいぶ薄れ、普段はそんなニュースに触れることもなく、この時期テレビを見て、ふと、あれから5年たつけど今どうなっているんだろう? とちょっとだけ気になった、なんて人もいるのではないだろうか。

 

というわけで、先日参加したボランティアの内容を、簡単にレポートしてみたいと思う。

 

わたしが申し込んだのは、金曜の深夜に東京を出発し、土曜一日と日曜の半日を南三陸町で作業して、日曜の夜に都内に戻ってくるボランティアバス。

この時期はワカメの収穫が最盛期だということで、作業内容は主にそのお手伝いであった。

 

震災直後のイメージが強烈に残っているから、東北ボランティアと言うとがれきの撤去や避難所での炊き出しを思い浮かべてしまう人もいるだろうが、人が入れなかった福島の一部地域を除いてそういうのは2011年の夏ごろにだいたい終わっている。

現在宮城、岩手で行われているボランティアの多くが、農業や漁業支援であるらしい。

 

 

東京からおよそ6時間。

マイクロバスに約20人がぎゅうぎゅうになってヘロヘロで現地に到着すると、数人ごとに分かれ、それぞれの現場に向かう。

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わたしを含む4人はこんな海の目の前の作業小屋で降ろされ、作業着(わたしは山用のレインコート)に着替えてお手伝い開始。

 

作業場には大量のメカブ(わかめの根っこ付近の部分)があって、二股のフォークのような専用の道具を渡され、ひっくり返したビールケースの上に座り、ひたすら食用の部分を削ぐようにカットしていく。果てしない作業。

現地の方はもちろん、ボランティアのメンバーも互いにはじめましてだし、ちょっと緊張しながらぎこちなく、黙々とメカブをそいでいく。

 

 宮城の最低賃金は関東より安いだろうから、これ普通にバイトとして一日やったら5千円か6千円くらいかなあ。

 

などと考えながらメカブをそぐ。

 

ボランティアをすると毎回ちょっと思うが、考えてみればへんな話だ。

こんな「誰でもできる」作業を、それこそ近所の学生や主婦をアルバイトとして適当に集めて手伝ってもらえばいいような作業を、わざわざ深夜バスに乗って、お金をかけてタダ働きをしに行くのだ。

ITや建築の技術なんかを有していればもっとわかりやすくお役にたてたかもしれないが、そんなものは何一つ持たないから、「これは役にたっているのか?」と内心思いつつ、ただ、手を動かす。

 

 

そんな疑問も、作業しながら、昼食をとりながら、他のボランティアさんたちやお手伝いさせてもらっているおうちの人たちと話しているうちに、だんだんと状況がわかり、わたしの中で納得が広がっていった。

 

 

養殖していたホタテや海藻、漁業のための機械も作業場も、そして自宅も流されたような方々の中には、ご自身の年齢が高かったり後継ぎがいなかったり、資金のめどが立たなかったりしてそのまま漁業をやめてしまった方が大勢いる。

しかしそんな中でも再び漁業をはじめられた方もいて、そういう方たちは北海道からホタテの稚貝を購入したり、新しく機械を購入しなおしたりして経済的に厳しい中で生活の立て直しを図っているのだ。

以前であれば繁忙期はその時期だけのスタッフを雇って仕事を回していたのが、人を雇う経済力が無かったり、たとえお金の問題をクリアできても、震災後は地域からどんどん人が流出してしまい、募集をかけても集まらないのが現状なのだそう。

一見すると復興したように見えるこの漁港も、まだその途上にあるということだ。

 

だから繁忙期は土日も関係なく朝5時ごろから家族総出で働きづめになるのだが、せめてボランティアの集まる土日くらいは早めに作業を終わらせて休んでいただきたい、というのがこのボランティア活動の趣旨のようだ。

 

 

休憩をはさみつつ、メカブ削ぎと、わかめを束ねる作業をひたすら8時間ほど行った。

 

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お昼にはメカブを刻んで野菜と合えたものをいただいた。

さっぱりとしていておいしい。大量にあったのにみんなペロリ。

あとホタテも。

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生でいただき、翌日は焼いたのと蒸したのをいただいた。

うまい!

新鮮であまくてぷりぷり。ホタテがこんなにおいしいと思ったことはないよ。

醤油をかけなくてもそのままでうまかった。

 

 

津波でぜんぶ駄目になってしまったこの地域のホタテ。

やめてしまう人も多かったが、この家では北海道から稚貝を買い、養殖を再開したという。

ホタテの養殖には2年かかるため、昨年までは「北海道生まれ東北育ち」のホタテを出荷していたわけだが、今年の5月、ようやく、稚貝からすべて南三陸産のホタテがとれる。

だから5月になったらまたおいで、と皆さん言ってくれた。

 

あたたかい言葉ばかりもらう。

「本当に助かる」「ありがとう」「また来てね」

80代のおばあちゃんの東北弁は外国語みたいで何言ってるかほとんどわからないがそれでもうれしい。

 

ボランティアに行くと毎回思うのだが、「手を貸しに」行っているのにこっちがこんなに楽しくなってしまっていいのだろうか。。。

 

夜は仮設の商店街でご当地海鮮丼「きらきら丼」を食べ、(地域にお金を落としたいというのも目的の一つなので、普段食べないようなご馳走をあえて(嬉々として)いただく)

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翌日は定食屋で郷土料理はっと汁を食べ、

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ほかの参加者たちのと交流も進む。

それぞれ色んな目的や思いを持って参加している。震災後コンスタントにボランティア活動に参加し続けている方から、今回が初参加の人も。二十歳前後の学生さんから60代の主婦の方まで。ふだん知り合うことのない人たちだから、だれと話しても興味深く面白い。

 

そんな中、ボランティアに行く理由をシンプルに話してくれる人がいた。

「必要としてくれる人がいるなら、行けばいいんですよ」と。

 

本当にそうだな、と思う。理由なんて、それくらいしかないのだ。

5年がたち、もはや復興は、ボランティアの手を離れ地元の人と行政に託してしまうべき時期なのかもしれない。

 

それでも、

「一番大変な時を過ぎたからって、震災直後からかかわってきた人たちとの縁が切れるのはいやだ。今後もなんらかの形で復興を応援したい」

というボランティアの思いと、

「たしかにがれきは撤去されたけど、まだまだ大変な時期は続くのに忘れられてしまうのはつらい」

という地元の人たちの思いが合わさって、こういう活動が続いているのだろう。

 

実際、今回のバスの代表の方も、「どっちかというと気持ちの面での支えという意味合いが強い」とおっしゃっていた。

それでいいんじゃないかな、とわたしも思う。

 

 

一日半の活動を終え、バスは最後に、被災地の様々な場所をめぐる。

 

あの日を風化させないために残されている防災庁舎。

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新しい総合病院。

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震災で病院は屋上まで津波をかぶり、町から大きな病院がなくなっていたが、最近町立の病院が完成したとのこと。

 

その向かいには、建設中の公営の復興住宅。

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入居は抽選だ。抽選に外れ、いまだ行き場が決まらないまま仮設住宅暮らしをされている方もいる。どうやってもみんな平等にはならない。

 

途切れたままの橋と、プレハブ小屋の並ぶ仮設商店街。

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町は、盛り土をして造成中。

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津波で流された海抜の低い地域は、どこもかしこもピラミッドのように土が盛られている最中だった。

 

造成が終わり、そこに家や店が並び町が復興するのは何年後になるだろう。

それまでにどれだけの人が流出してしまうだろう。

どんな町になっていくのだろう。

 

 

ショベルカーだらけの町を見て、また来よう、と思った。

 

 

ボランティアはやっぱり自己満足の世界だ。

だれかの役に立つなんて、そんな崇高なもんじゃない。

参加者はそれぞれの考えがあってやってくる。

わたしは、ここがどんなふうに復興するのか自分の目で見たいから、来よう、と思うだけだ。

 

 

あまり感傷的になってもうまく実情を伝えられないだろうから、このへんで今回の記事を終わることにする。

今回知り合った人たちのこととか、体験した面白いエピソードは、またいつか書いてみたい。

今回の記事で、普段震災のことを忘れて過ごしている普通の人たちに、少しでも何か伝えられていたらいいなあと思う。