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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

アクアラインマラソンを終えて(備忘録)

マラソン・ランニング

最近日常が目まぐるしい。

生々しすぎて文字にできず、却ってブログに書けることがないので、書こう書こうと思いつつ先延ばしになっていた、10月のアクアラインマラソン(フル)を走った感想でもここらで書いておこうと思う。

 

2年後にまたエントリーするときのためのわたし専用備忘録な内容なので、あまり面白味はないと思う。写真も撮っていないことだし、できるだけ簡潔にただメモをするのみ。

 

 

 スタートまで

10月23日。最高気温は20度を超えるようだったので半袖のウェアで臨む。ポケットにはミニサイズの金のアネッサを忍ばせて。途中塗りなおすつもりだ。最愛の肌は何が何でも守るべし。

 

さて。7:44木更津着の臨時電車で到着。

ここから荷物預かりや更衣室のある会場まで徒歩20分程度。女子更衣室は体育館のようなところで、わりと広々していた。館内のトイレは30分待ちだったが、仮設トイレはあまり使いたくないので仕方がない。

9時ごろには会場をあとにし、スタート地点を目指す。スタート地点までまた徒歩で2,30分あるのだ。

スタート地点にも大量の仮設トイレが並んでいたが、ここも長蛇の列。

トイレは更衣室のある会場で済ませてからスタート地点へ向かうか、早めにスタート地点へ行ってトイレに並ぶか、どっちかだな。いずれにせよ、トイレのために30分見ておかなきゃならない。

 

おもてなし

前半は沿道の応援などが楽しかった。

おそらくそれぞれの地域ごとに町内会が出し物をしていて、お祭りのお囃子を披露してくれたり、おばちゃんお姉さんたちがフラダンスを踊っていたりした。幼稚園や小学校、中学校単位でたくさんの子どもたちが大声で声援を送ってくれる区間もある。

とにかくにぎやかでお祭りって感じで楽しい。

 

とくにアクアラインの上空に現れた自衛隊ヘリの編隊は圧巻であった。

アクアライン上はただでさえ眺めがよく、その日は晴れていたこともあって本当にすがすがしい、「わあ、本当に海の上を走ってるんだ!」って感動してしまうようなコースだったのだが、そこへ「ドドドドド」とかっこいい音を立てて5機や7機の編隊を組んだヘリコプターが空の向こうからやってくるのだ。

多分パイロットの方たちには見えていないだろうけれど、嬉しくて思わず手を振った。

 

アクアラインを降りると、この辺では盛んなのだろうか、ちょっとやんちゃっぽい若者たちが巨大な旗を振りながらよさこいを披露してくれる。その間をくぐるように走る。

 

また、ところどころ特産品を使ったエイドステーションが設けられていて飽きなかった。お土産物屋さんさながらの様相のため、つい立ち止まって物色してしまう。びわゼリーとびわケーキと、後半のエイドではゆずジュースをもらう。びわゼリーはちゅるんと食べられてちょうどよい。

私設エイドなのか、特産品エイドとは少し離れた場所に冷凍ブルーベリーを出してくれているテーブルもあったが、これまたおいしかった。溶けかかった冷凍ブルーベリーがシャクシャクして、疲れた体に染みるのだ。また食べたい。なんだかグルメ旅みたいなマラソンになってしまっている。

 

それから、おもてなし、というのとは違うけれど、コスプレした人たちがたくさんいるのも楽しい。途中、くまモンをしょったチョッパーや、音楽を流しながら走るバットマンに出会った。コスプレしてる人たちは沿道の注目を集め、「ちょっぱーがんばれー」などとたくさん応援してもらえるので楽しいだろうな。でも、絶対暑い。着ぐるみ着て20度の中を走るなんて考えられない。みんなよくやるわ。多分彼らは変態なのだろう。

 

 コースについて

ハーフの人も一緒くたに混ざってスタートするため、アクアラインを降りてハーフの人たちと別れるまでは、とにかく人が多い。前半はキロ6分半弱くらいで進もうと思っていたのだが、7分弱くらいで走るのが精いっぱいだった。とにかく右も左も前も後ろも人・人・人で、抜かしようがないのだ。

良いタイムを狙いたいなら、実力より少し前のほうからスタートすべきかもしれない。しかしお祭り的要素の強い大会なので、無理せずニコニコ走れるこのくらいが結局ちょうどよいのかも。

 

ちなみに、ハーフマラソンとコースが分かれてからの21キロは、コース上も沿道の応援も閑散としており、それはそれでつらい。目玉のアクアラインはもう終わっちゃったし、広がる景色は稲刈りの終わった茶色い田んぼばかり。選手は疲れ始め、袖ケ浦市内の応援はまばら……。苦行の始まりである。

ただにぎやかに笑って終わりたいのなら、アクアラインマラソンはハーフマラソンが断然におすすめである。

 

エイドステーションは、アクアライン上を除いて2キロおきくらいに設置されていて、十分すぎるくらいだった。全部で水をもらっていたらおなかがタプタプになるので、適宜スルーする。

この大会は、まだ暑い10月中に行うためか、アクアラインを閉鎖する時間帯の関係で最初の関門が早めに設定されているためか、完走率が結構低い。多分その対策でこんなにもエイドを設けているのだろう。

 

とはいえアクアライン上は5.5キロに渡ってエイドステーションのない区間がある。暑かったら水なしで5.5キロはつらいかな? と思い、念には念を、とわたしはペットボトルを入れたボトルポーチを身に着けて走ったのだが、結局必要なかった。橋を渡るのはまだ最高気温に到達する前だし、気持ちが高ぶっている中での5.5キロはあっという間なので、手ぶらで走っても問題なかったようだ。むしろ邪魔。

 

そしてコースのきつさについてだが、終盤まではずうっとフラットな道が続く。アクアラインは確かに登って降りて、にはなるが、まだ前半で足が軽いし海の上ですがすがしいしであまり気にならない。

問題は34キロ地点のあたりからやってくる二つの坂だ。2,30メートルほどの高低差を一気に駆け上がる。歩いている人も結構いた。時間がかかったら余計つらいと思ってわたしは歩かなかったが、終盤であの坂はたしかに歩きたくなっちゃうよね、という感じ。次臨むなら、ちゃんと坂道の練習もしておきたい。

 

さいごに

本当に楽しい楽しい大会だった。

スタートするまでは「マラソンって楽しいものだったっけ、どうだっけ」などと首をかしげながら来たものの、いざ走り始めるとわけがわからないくらいに楽しくて楽しくて仕方がなかった。

なんだか見るものすべてが新しいっていう、子どものころに還ったようなときめき。

特にアクアラインの上!

本当に海の上を、空の上を走っているようなあの感じ。

高速道路のため普段は車からでないと見られないその景色は、自分の足で踏みしめて見てみると、車の中からよりずっと大きく見えた。おなじみの緑色の標識も、真下から見上げるととてつもなく大きく迫力があった。

普段は道路情報を流しているのであろう電光掲示板もランナーたちにエールを送り、自衛隊のヘリも次々とやってきて歓迎してくれる。

思い出すだけでふふふって笑ってしまう。

 

本当に、なんであんなに楽しいのだろうね?

たしかにアクアライン降りたあとはわりとつらかったけども。

あのわけのわからない高揚感を味わえただけでも十分に元は取れた感がある。

 

次回も是非またエントリーしたい。

次までにはもっと胃を強くして、エイドステーションの特産品をもっと色々たべたい。できれば全種類。目指せコンプリート。 

 

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アップデート

雑感

月曜の朝、出勤しようと家を出て、手袋をはめた手で鍵をかけた瞬間、

 

 あ、アップデートされてる。

 

と感じた。

わたしが、アップデートされている、と。

よくわからないが、わたしの中のパーツがひとつだけ別のものに交換されたような。ちょっとだけ仕様変更されたような。そんな感覚がポッと生まれたのだ。会社へ向かう足が心なしか軽い。

 

前にもこんなことがあった。27歳の誕生日。あれは今回みたいな小さなモデルチェンジみたいなものでなく、全身リニューアルされたようなかなりくっきりした体験だったけれど。26歳のわたしを脱ぎ捨て、曇っていた視界が急に明るくなった。見えなかったものが見えるようになったような。世界にじかに触れているような、けれど誰からも傷つけられることのない強い皮膚を手に入れたような。怖いものがいくつも、いっぺんに消えたような。

昨日までの自分とは違うのだ。はっきりそう思った。

 

 

今回のアップデートはもっとささやかなものである。

それでも、先週の金曜日まで、同じように出勤していた自分とは確実に違っている。何かが変わったのだ。わたしが機械仕掛けのロボットならば、わき腹部分の内部の小さな歯車が一つだけ、知らないうちに交換された、そんな感じ。機能にほとんど変更はない。前までも不具合は出ていなかったし今回の部品も問題なく適合している。けれど、何か違うのだ。善い変化か、悪い変化かはこの時点ではわからない。でも少し心が軽い。

きっかけは何だろう。土日に行った東北でのボランティアか、金曜の夜にある人と話をしたことか。それともその両方か。いずれにしても人と触れ合う量の多い週末ではあった。あるいは、この数か月間で積み重なった何かがこの週末で臨界点に達しただけなのかもしれない。兆しはあったような気はする。

 

 

変化はいつも寂しさを伴う。

それは昨日までのわたしを忘れていくことだから。貧乏性のわたしは、どうしてももったいないと感じてしまう。かわいそうな昨日までのわたし。あんなに震えながら生きてきたのに、自分自身にまで忘れられてしまうなんて。

 

さびしい、かなしい。そう思って昨日までの自分を手繰り寄せようとするが、もう遅い。昨日までより少し高い場所にわたしはいるのだ。もう、昨日までのわたしは同じ空間にはいない。

 

さびしい、かなしい。微笑みながらつぶやいている。

さびしがりながら、もう次のアップデートが待ち遠しい。こうやってどんどん平凡になってゆくのだろう。さびしい、かなしい。こうやって心はどんどん軽くなってゆくのだろう。さびしい、かなしい。こうして今まで大切にしてきたものまで全部全部落としていって、次のわたしは、その次のわたしは、どんどん笑顔が増えていくのだろう。

 

さびしがりながら、次に進む。そしてどうか、増えていく笑顔が乾いたものではありませんように。そしてどうか、本当に大切なものが最後にきちんと残っていますように。

アメリカの大統領選を見て

雑感

てっきりヒラリーさんが勝ってアメリカ初の女性大統領が誕生するものと思っていたから、トランプ勝利の文字を読んだときは何かの見間違いかと思い、ぽかんとしてしまった。

日米同盟やら経済の問題やらいろいろ不安はあるけれど、率直な感想は、米国民よそれでいいのか? である。

 


最近こんなことが多い。今回のトランプ勝利も、6月の英国のEU離脱も、フィリピンのドゥテルテ大統領も、改憲を目指す日本の安倍政権も、素人のわたしには全部同じに見える。(フィリピンはちょっと違うかもしれない)

 

なんというか、戦後70余年で作り上げてきたものを否定するような、別の方向へ舵をきろうとしているような。

 

それは決して善いとか悪いとかの問題ではなく。世界全体がそんな気分なのだろう。よりよい未来が来るっていうからいろいろ我慢して協力してやったのに、損ばかりでちっとも恩恵に与れないじゃないかっていう、気分。ナショナリズムとは言わないんだけれども、市民の気持ちが内へ内へと閉じてきているような。

 

時代が変わろうとしているらしい。変化についていけないわたしはちょっとびびっている。けれどもこれだけの人が本気で支持したということは、これまで世界全体で作ってきたものがそろそろ限界だということなんだろう。古くなってあちこちガタが来ているのだ。

大学で「ソフトパワー」というものを勉強したのだが、あれもそのうち時代遅れになっていくのかね。なんだかさびしい。

 

ともかく、今はじっと見ていよう。世の中がどう変わっていくのかを。

手に入らないものもある、それが人生。でも。

仕事

学生時代はブログのほかにも時々日記をつけていた。

そこにはブログの趣旨に合わないことだったりごくごくプライベートな内容だったりを書き綴っていたのだけれど、そのほかにときどき思いついて「10年後のわたしへ」なる手紙を書いたりしていた。

わざわざ便せんにしたためて折りたたんでシールで止め、日記帳に挟んである。

 

たしか初めはアンジェラ・アキの歌に触発されたのだったか。


手紙 拝啓 ~十五の君へ~/アンジェラアキ(Cover)

 

最初の手紙は20歳の誕生日に書いたから、あと2年たてばそれを開く予定なのだが、手紙を開くのが少し怖い。

 小学生時分に学校行事で書く20歳になったわたしへ的な文章と違い、手紙を書いたことを大人のわたしは充分記憶しているし、内容すらなんとなく覚えているのだ。

 

たしかわたしは、希望の職に就いているか、努力を続けているかと書いたのだった。

たしかあの頃、「就いてみたいなあ」と思える仕事が、大雑把にくくって3つくらいあった。その業界でたとえスターになっていなくとも、片隅で元気に走り回っている自分を想像していた。何の疑いもなく。

しかし努力なんか途中でやめてしまった。もちろん、希望の職になどついていない。完全に怠惰の結果である。二十歳の自分にどう顔向けできようか。

 

けれども人生なんてそんなものなのかもしれない。

手に入らないものもある、それが人生。

なんてね。わたしもつまらない大人になったものだ。手に入っていないものが多すぎることには目をつむっている。

 

今ではたった5年後の自分すら思い描けない。

いや、本当のところは、思い描きたくないだけなのかもしれない。

 

今の場所で、「こんなところでのんべんだらりと時間をつぶすように生きていていいのだろうか」と思いつつも何も変える努力をしないまま「人生ってつまらないな」と愚痴ばかり吐きながら生きている自分を、思い描きたくないだけなのだ。

 

ならば、そんな未来が来ないように、そろそろ努力を再開すればよいだけの話なのだが。

 

 

フルマラソンを走っていて何を言うかと言われそうだが、わたしは趣味に生きるつもりはない。もし仮に趣味を人生の真ん中に置くのならば、それで稼げるくらいのめりこまなければ意味がないと思う。

家庭に生きるつもりもない。子どものころから結婚願望に乏しく、「幸せな家庭」の何が幸せなのかよくわからないのだ。いや、それは言い過ぎか。しかしどんなに家庭が幸せでも、それは多くても人生の半分でしかないように感じてしまう。家庭を持てば考えも変わるのだろうか。

 

生きたい人生はもっと別のところにある、という思い込みが拭えない。アラサーにもなっていまだに。

何の意味もないのに、「生きる意味」だとか大げさなことを考えてしまう性質なのである。

 

でもこのままじゃだめだということは確かだ。青臭い言い方だけれどこれは事実。第一仕事が面白くない。頑張ろうにものれんに腕押しというか、まったく手ごたえがなく虚しくなるばかりである。何らかの目的のために仕事をしているというより、仕事をすること自体が目的のように感じる仕事ばかりで。

 

だから5年後のわたしには、面白く仕事をしていてほしいと願う。

転職していてもいいし、楽しみが見出せるなら今の仕事を続けていてもいい。副業を始めてそれを頑張っている、でもいい。何なら無職でも構わない。

何でもいいから、ポジティブな未来に向かって生きていてほしい。このままじゃだめだと思いながら何もしない、という状態を抜け出して、迷走しながらでも1歩でも2歩でも歩みを進める、本来のわたしに戻ってきてほしい。

 

 

最近、勉強を始めた。

仕事帰りにカフェやファミレスに寄って、少しずつ本を読み進めている。

勉強していると少し安心する。なんだか懐かしい気分さえする。アラサーのわたしの中に微かに残っているハタチのわたしが、もっと、もっとだと嬉しそうに叫んでいる。

その声がいつまでもわたしを導いてくれることを、今は願うばかりだ。

 

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭に行ってきたよ!

芸術祭

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10月には瀬戸内国際芸術祭に行ったわけだが、テンションが上がってほかにも行ってみよう!という気になったので、茨城でやっている芸術祭にも行ってみることにした。

でも茨城ってめちゃくちゃ遠いよなー、どうやって行こう、向こうについてからの移動にかける時間を考えると日帰りは難しいかしら、などと考えながらホームページを見ていると、東京発のバスツアーがあったのでこれに参加してみることに。

 

kenpoku-art.jp

 

ツアー客は20人余りで、夫婦や友人同士の2人連れで来ている人と一人参加の客がほぼ半々。わたしの隣に座っていた女性は、小さなお子さんを旦那さんに預け、ひとりではるばる山形から来たという。

バスツアーに参加するのは初めてだったが、初めは静かだったバスが行程とともにだんだん和やかになっていくのが面白かった。

 

キュレーターさんが日立駅で乗り込み、解説付きで回る。後半はじっくり見る余裕があまりなかったけれど、おそらく今回のツアーのハイライトであろう御岩神社と海辺の作品はしっかり堪能できたのでかなり満足である。以下、写真メインでお送りする。

 

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御岩神社。

わたしは今回初めて知ったけれど結構有名なパワースポットらしい。

たしかに境内はなにか神聖な空気を感じる。本当に美しく清らかな森が守られていて、アートに興味ないひともこの神社は一度行った方がいい。茨城のポテンシャルすごい。

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そしてこの空気を具現化したような巨大なアート作品が杉の木立の中に出現する。

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薄いフィルムで作った作品で、光の当たり方によってピンクになったり緑に見えたりする。幻想的。神社の雰囲気とよくマッチしている。

風が吹くと六千枚のフィルムが一斉に揺れるのだそうだ。

 

次はビーチに向かう。

「落ちてきた空」

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空が描かれたパネルが砂浜に突き刺さっている。

晴れ渡った青い空とどこまでもまっすぐな水平線に、よく合っていた。

 

そこからほど近い入り江は人間の指が突きだしたヤドカリが。

解説によると、人間の人生そのものが仮のものだということを表しているのだとか。

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この作品はこんな美しい入り江の前に展示されている。

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江戸時代の豪農、穂積家住宅の庭には

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陶器で作られた作品が置かれていたり、

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明治時代に活躍した岡倉天心が作った庵、六角堂にはちょこんと朝顔(昼顔かも)や雑草が生えていたり。

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これもアート。

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ふふふ

かわいい。

 

日立駅すぐのシビックセンター前には″山行き”のバスが。車体の外にも中にも草が生い茂っている。

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バスの中にはウサギや亀や鳥がいて、覗き込むとウサギたちがぴょこぴょことはねていた。

 

こういった芸術祭は、自然の風景とか街並みとか、もともとそこにあったものを使ったり、その場所に溶け込むように作られているのが面白い。四角い美術館の白い部屋でどこかから切り取られてきたような作品を眺めるのとは違って、歴史や人々の営みを一緒に味わえる。

 

次回があったらまた行きたいと思った。

それまでに写真の腕を磨かねばな。

 

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死んだほうがいい人

雑感

今朝歯を磨きながら、大阪の天王寺駅で男が金属バットで女の子を殴ったという事件のニュースを見ていた。「目が合ってにらんできたから」というのが犯行理由だというのを聞いて、「ああいうのは頭が病気の人がやるんだから動機も何もないよなあ」とぼんやり考えた。

つまり「頭がおかしい人」という、自分と違う種類の生き物がやったのだ、と思ったのだ。被害者を思って恐怖と同情を抱いても、犯人に対して哀れみは感じないわけである。

 

わたしもずいぶんまともになったものである。

 

数年前、千葉県で連続通り魔事件があったのだが、当時そのニュースを見るたびに胸が痛んた。

わたしとその犯人、何が違うのだろうと感じて。

そしてワイドショーのコメンテーターや街頭インタビューの発言を聞くたびにわたしはますます精神的に追い詰められていった。

彼らは「まともな人」からのまともな意見として、その犯人を「頭のおかしい人」として扱い、理解不能だと言った。当然である。いま当時の記事をあらためて読むと、その犯人の言動は意味不明で、到底理解できない。社会から抹殺されるべき人物だろう。

 

けれども当時のわたしは、いつか自分もあんなふうになるのではないかと思ったのだ。世の中から逸脱して、周囲を傷つけるだけのモンスターに成り果て、そしていつか社会から抹殺されるのではと。そしてそんな私達を、誰が理解してくれるだろうと思った。

とても怖かった。

被害者がいるのに犯人に共鳴している自分が。わたしも同じ種類の醜い生き物なのだと感じた。

モンスターは生きているだけで世の中の損害となる。モンスターでも誰かに理解してほしいし誰かの愛がほしい、しかし周囲に害をなすモンスターが誰かから理解されるわけがないし、そもそも理解される価値がない。そういうわけだから孤独になるのは当然である。生まれながらに消えるべき存在なのだ。

だからモンスターには、苦しみしかない。

しかし、ではなぜわたしは生まれてしまったのだろう。

 

その事件より少し前のことになるが、インターネットでエゴグラムというものを知って、なんとなく試したことがある。するとその結果はほとんどcで、1個か2個bが出るくらい、というありさまだった。解説を読むと、「お前のような人間のクズは周囲に迷惑をかけるだけだから、極力他者とかかわらないで引きこもってろ」というような主旨のことが書かれていた。

わたしはそれほど醜い人間だったのだ。

 

 

いまエゴグラムをやるとオールbが出る。なんの面白味もないし性格が良いとも言えないが他人に迷惑をかけることもない、そんな人間になったということだ。

だからいまテレビで凶悪犯罪のニュースを見ても頭のおかしい人がやったことだとしか思わないし、ああいう人はきっと治らないからできるだけ長く塀の中にいてもらいたいと思う。

 

これは一応、わたしが成長した、ということでいいのだろうか。

しかし本当に?

あの犯人たちとわたしは、本当は地続きなのだ。それを忘れてはいけない。いつかまたあんな日々に戻らないとも限らないのだから。

わたしは生きていることをすこし反省する。

瀬戸内国際芸術祭2016に行ってきたよ! 豊島編

芸術祭

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瀬戸芸2016 最後に訪れた島は豊島(てしま)。

芸術祭の中では2番目くらいにメジャーな島だろうか。

1日目の呑み屋でしゃべったおっちゃんによると、昔から香川に住んでいる人間からすると、豊島は産廃のイメージが強いという。たしかに、「豊島 産廃」でググるとそういう記事がたくさん出てくる。

でも実際に行ってみると、上の写真のように、本当に美しい場所だった。長い時間をかけて島の人たちが闘ってきて、今の豊島があるようだ。

 

 

混雑

船が混む上に数十人しか乗れない高速船だと聞いて、7時過ぎには高松港に到着したもののすでに長蛇の列。7:41分の船には乗れず、その10分後の臨時便に乗れることになった。

豊島は大きいうえに坂も多いのであまり自転車はおすすめできないと、ゲストハウスで同じ部屋だった女性に教えてもらったのでバスの乗車を目指すが、ここでも満員で30分後の次のバスを待つことに。ちなみにバスは1回乗車ごとに200円。

 

人気の島だし、島には都会のようなキャパはないので結構待ち時間が多い一日となってしまった。

 

 

豊島美術館

バスに乗ったら、まずは美術館を目指す。

美術館前のバス停を降りると

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すごい解放感。

美術館で整理券をもらうと、入場は1時間後ということだったので周囲を散策することに。

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美しい棚田が広がっている。

上から見てるいと、ナウシカメーヴェに乗って飛んでいけそう。

この景色が見られただけで、この島に来た元は取れたと思った。

 

途中で出会った農家のおじさん曰く、この棚田、今はしかし全盛期の数分の1程度だという。たしかに、よく見ると耕作放棄地は多い。NPO団体が景色を守ろうとヤギを飼って雑草を食べさせたりはしているそうだが、この場所一面が田んぼだったら、きっともっと、ほんとうにきれいな景色だったのだろう。

 

さて、時間が来たので美術館へ入る。

中は写真が撮れないので画像がないが、ゲストハウスで同じ部屋だった女性が「豊島美術館は本当に良かった」と言っていた通り、見ごたえ(入りごたえ?)のある作品だった。

これが美術館を上から見た様子。

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あの丸くて白いのがそう。

四角い部屋に小さな作品を展示してあるのではなく、美術館そのものが大きな一つの作品なのだ。とても贅沢。のどかな島の田んぼの片隅に、その静けさを生かすように作られている。鑑賞するのではなく、その空気を味わえるような作品となっている。

もしも芸術祭会期外のお客さんの少ないときに来られたら、本当に贅沢な時間を過ごせそうだ。

 

唐櫃岡エリア

お昼を食べようとバスで唐櫃岡へ戻る。

11時40分。ここでうっかり「島キッチン」の整理券が取れてしまった。

後になって思うのだけれど、このために唐櫃岡エリアでとても時間をくってしまったのはちょっともったいなかった。2時の整理券が取れて、結局お店に入れたのは2時半だったのだ。その間わたしたちはずっとこのエリアにとどまってしまった。

たしかに島の食材を使った料理はおいしかったのだけれど、もっと有意義に時間を使えたらよかったと思う。島の食材を使った食事処はほかにもたくさんあるのだし。ガイドブックに大きく乗っているからミーハー気分で固執してしまった。

次にここへ来るときは、もうこのお店はあきらめようと思う。

ちなみに、わたしたちが取れた整理券は、最後から2番目だったようだ。

 

そんなわけで時間はたっぷりあるのでまずは集落を少し離れたところにあるクリスチャン・ボルタンスキーの作品へ。

こんな山道を20分ほど登っていく。

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わたしはこの作品が今回見た中で一番好きだったのだけれど、うーん、写真では伝わらないなあ。

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榊が自生した林の中に、無数の風鈴が揺れているのだ。ささめくように凛とした高い音があちこちで響いている。

風の音、木の葉ずれの音、風鈴の音と木漏れ日が一体となって幻想的な空間を作り出している。

 

風鈴には透明なプレートが下がっていて、名前を登録できるようになっている。お金もかかるしわたしたちはやらなかったけれど、自分の大切な人の名前を刻めるようになっている。

 

 

この後は、このエリアの作品を全部回って島キッチンでご飯を食べて硯地区の作品を見てこの日はおしまい。

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帰りに港で宇野行きの船を待ちながら、妹ちゃんとご当地アイスを食べた。日も沈んできて、なんだか寂しい。これで夢の時間はおしまい。

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直島にはいかないのか

ちなみに。

芸術祭を開催している島で一番人気なのはおそらく直島。見ごたえのある作品がたくさんあって、ガイドブックの表紙になっている草間彌生の作品などもここにある。

わたしたちも直島行きを検討したのだが、「人が多そう」と恐れをなして、結局やめにした。それに直島の作品は大抵が芸術祭の期間に関係なくいつでも見られる常設のものばかりなのだ。ならばまた今度行けばいいじゃん! という結論になった。妹ちゃんとまた次の旅行の約束ができることのほうがわたしはうれしいし。

 

瀬戸内海はいいところだし、本当にまた今度来れたらいいな。たとえば来年か再来年の夏にでも。

 

 

芸術祭必須アイテムふたつ

ガイドブックは必携だった。わたしは知り合いから借りて行ったが、行ってみると、これなしにどうやってめぐるんだってくらい、必須アイテム。

あと、歩きやすい靴。周りを見るとほとんどの人がスニーカーだった。そりゃ、田舎を歩くのだから、靴は重要だ。

 

 

宇野でご飯

晩御飯は宇野で食べることに。

google先生に聞くと、「温玉めし」というご当地グルメがあるとのことなので、適当に食べログで出てきた「どてきりや」というお店に行ってみたら、場違いなほどおしゃれなお店に到着してしまい、恐れおののきながら晩御飯をいただいた。

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せっかくなのでおしゃれなデザートもいただく。

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おいしかった。

 

これでほんとのほんとに瀬戸内の旅はおしまい。次はいつ妹ちゃんに会えるかな。

お互いまた明日から、がんばりましょう。

 

 

 

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