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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

ホキ美術館で写実画を見たので感想を

先日、ホキ美術館に行ってきた。

 

写実画ばかり展示している美術館。

人物画、風景画、静物画、いろいろあったがどれも一瞬写真かと見紛うほどリアルで精緻な絵だった。

久々に、純粋に絵に対して「あ、いい」とときめいたのでちょこっとだけ記録しておく。 

hoki-museum.jp

 

一見写真のよう、でも写真じゃない。

去年、原美術館でやっていた篠山紀信の写真展なんかも見に行ったが、それよりもこっちのほうがわたしは心を動かされた。(テイストが全く違うので比べるのはおかしいのだけど)

 

写真と写実画と、何が違うのだろうと考えてひとつわかったのが、写真には必ず被写体があるということ。

原美術館で見たのはヌード写真だったけれど、人物を撮った写真なら、たとえモデルの顔が見えないような角度で撮られていたとしても、彼女(彼)は確実にそこにいるのだ。生々しい人間が、カメラマンの意思を越えて直接鑑賞者に存在を主張してくる。良くも悪くも。わたしにはそれがどうにも邪魔だった。

 

しかし絵はそうでない。どんなに写真のように精密に描かれていても、もしかしたらそれは現実には存在しないものや人かもしれないのだ。

だからモデルの個性は消えて、ただ作家が美しいと感じたものだけがそこに現れる。

 

それが、わたしがときめいた理由だと思う。だって、わたしもいつも見ているのだ。とても美しいものを。友人のふとした表情とか、電車の窓から見えるごちゃごちゃした街の向こうの富士山とか、ちょっとスカートが翻った時のその角度とか、仕事帰りになんとなく振り仰いだ空の色とか、たまたまエレベーターに乗り合わせた女性の、ストッキングに包まれた若い脚とか。

 

でもそういうのは写真には写らない。何の変哲もなさすぎるし、第一いらないものが写りすぎる。いや、本当に上手な人ならちゃんと表現できるのかもしれないけれど。でもだいたい、綺麗に見えた友人も写真に撮ってみればたいした美人ではなかったりするし、汚い街並みの向こうにちょこっとだけ顔を出している霞んだ富士山は、自分の目で見ているとき以外美しくは見えないと思う。

 

人間がものを見るとき、写真のようには見ていなくて、たいてい、見たいものを見ている。ふと何かを見て「ああ、綺麗だな」と感じるとき、わたしはその「ああ、綺麗だな」と感じた印象だけを見ている。友人の横顔を美しいと感じるとき、わたしはその友人を見ていない。彼女の性格がいいとか悪いとかどうでもよくて、ただ美しい光と形を見ている。

 

その感覚と、今回ホキ美術館で写実画を見て感じたものが、とても似通っていたのだ。

極限までリアルに描かれた絵からは、却って対象の存在感は薄れて、作家の理想が出現し、彼らが現実の奥底に見た「美そのもの」とかそういうものが色濃く立ち上っていた。だからわたしは安心して、立ち現れた「美」だけを眺めることができた。そのことが何だか、共感を得たような気持ちにさせる。わたしは安堵し、懐かしいような気持ちになった。

 

 

もちろん、美しさを追い求めた絵だけではなかったけれど、やっぱり単純にきれいなものがわたしは好きなので、「とにかく美しい」絵しかあまり記憶に残っていない。

現代の絵画には、「思想」とか「哲学」がいつもついて回る印象があるけれど、ホキ美術館で見た絵には、そんなもの関係なくただ純粋に「美しい」を追い求めたような作品がたくさんあったのも、楽しめた要因の一つだと思う。

 

 

帰りに、裸婦画のポストカードを一枚買った。

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美術館の建物自体も素敵だった。

ギャラリーは湾曲した細長い回廊のようになっていて、そこに展示された絵を一枚一枚眺めているうちに非日常の世界に入り込んでいけるかのようだった。

 

良い時間を過ごせた。

今年中にまた行きたい。

コツはとにかく「がんばらないこと」

マラソン・ランニング

休日に早起きして洗濯物を干し(部屋干し)、化粧もしてさあ出るぞ!というところで天候により今日のマラソンの練習会が中止になったと連絡を受けた。

昼過ぎまでの予定が消えて突然暇になってしまったのだが、コンタクトレンズ(ワンデー)もしてしまったし今から二度寝するのもなあ、というわけで朝っぱらからブログを書いている。

 

 

この練習会はだいたい月1で行われているが、月謝や年会費を払ってキチンとレクチャーを受けるような本格的なものではなく、都度1,000円程度の参加費を払って自分の行きたい時だけ参加できるゆるいものだ。主催者もスポーツのある一部に関しての専門性は持っているようだが、マラソンに関しては特別速いわけではない普通の市民ランナーで、いつもゆるゆるとおしゃべりしながらLSDをやるだけである。

参加者は、レギュラーメンバーのように毎回出ている人もいるが、わたしのように予定の合う時だけ現れる人もいるし、「ネット見て来ました」と言ってやってくる初参加の人がいつも3割くらいはいる。いつでも着脱可能な会である。

 

このゆるさがいい、とわたしは思っている。

 

よく、「趣味で時々ジョギング程度はやるがマラソン大会に出たことはない」くらいの人たちから「どうやったらフルマラソンなんて完走できるの?」などと聞かれるが、何のことはない、頑張らなければいいだけの話である。

そりゃあ、好タイムを狙うなら必死の練習も必要だろうし本番も必死に走らないとならないだろうが、完走だけが目的なら週3日程度の練習でも足りるし、東京マラソンのように制限時間の長い大会なら、本番もおしゃべりしたりおやつを食べながら走ったってゴールできるのである。

頑張りすぎちゃうといやになっちゃうし、35キロを過ぎてパタッと足が動かなくなったりもするらしいから、コツはとにかく「がんばらないこと」。そんなんでも続ければ次第に距離は伸びるしタイムも多少は縮むのだ。

 

練習会もだから、「絶対行かなきゃ」とか「次回までにこれくらい筋トレして体作っておかなきゃ」みたいなプレッシャーのあるやつはダメで、「まあ、行ってみるか」くらいのテンションでふらっと参加できるものが、辞めずに続けられて却って力が付く。と思っている。

 

無理をしない。これが大事。

 

最近特に、このことに気を付けて生活している。

というのも、最近のわたしは大学に入って間もないころのわたしとテンションが似ているからだ。

大学1,2年のころのわたしは、夏目漱石の三四郎よろしく、これまで田舎で経験してきたことはいったい何だったのかというくらいに見るものすべてが強烈な鮮やかさをもって感じられ、しかも自分もその一員になれるのだという気がして、興味が向いたものにはなんにでも首を突っ込んでみた。そして首を突っ込むと、頑張らないではいられなかった。

試験に結びつかないものでも気になることがあると図書館へ行って文献を探したし、サークルでは自分で脚本を書いて映画を撮っていた。バイトは「楽に稼げるか」よりも「興味ややりがいを感じられるか」を基準に選んで苦手な接客もこなし、それも一時期は海外へ行く資金をためるべく掛け持ちもしていた。海外でインターンもしたしそのための英語の勉強もした。もちろん、趣味の読書もしていたし、そのころから時々ジョギングもしていた。そして対人コミュニケーションに関しても、「うまくやらなきゃだめだ」とか「周りのリア充大学生たちと同じようにキラキラしてなきゃだめだ」っていうストレスを勝手に感じていたように思う。

 

そのくらいのことを軽々こなす要領のいい人もいるだろうけれど、まあ、わたしのキャパは間違いなく超えていたわけだ。今になって考えると。

歯車がうまくかみ合って全部回っているうちはよいのだが、どこかで躓くとたちどころにダメになる。なにせ全部の歯車をフル回転させている状態を自分のデフォルトだと思い込んでいるので、どこか一部がダメだと理想との乖離に必要以上に焦ってしまい、そして全部嫌になってしまうからだ。

 

その結果が3回もの留年である……というわけではなく、留年は他にも原因がいくつかあるのだが、でも要因の一つであったことは間違いない。

 

 

そして最近、あの頃のテンションと似てきているのだ。

いろんなものに興味が出てきて、本を読む量が増えているし、実際に足を運んだりしている。趣味に関しても、仕事に関しても、人付き合いに関しても。

心躍る楽しいことがたくさん。

 

これは良くない兆候。

留年時代のモグラ生活再びか。そう思ってわたしはひやひやしている。

 

 

がんばってはいけない。理想を高く掲げすぎてはいけない。

 

そう、このマラソンの練習会のように。細々とでも続けられれば何かしら得るものはあるのだから、まずは気楽にやれる程度から。肩の力を抜いて。ゆるっとね。人に好かれるとか嫌われるとかもはやどうでもいい。自分が心地よいかどうか。

 

そうやって少しずつ走れる距離が延びるように、ゆっくりと人と仲良くなれたらいい、仕事で成長できたらいい。

そしていつか、ほんとのほんとの踏ん張りどころに直面したら、その時だけ、気合をいれましょう。

 

 

さて、練習会は中止になったが天候は回復してきているようだ。せっかくだから、のんびりジョギングに出かけようかな。

今年のもくひょう……?

仕事

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

って、誰に言うでもないけどごあいさつ。

 

そろそろ正月気分も抜けて明日からの仕事モードに帰りつつあるが、新年最初のブログなので、今年の展望的なものでも書いておこうか。

 

 

昨日、近くの神社へ初詣に行っておみくじを引いたところ、末吉と出た。何とも微妙でつまらない。今年はあまり運勢がよろしくないよう。

 

待ち人、来るが遅い。失せ物、返らない。恋愛、出会いあるも危険。縁談、良縁だが人から阻まれる。エトセトラエトセトラ。なんじゃそりゃ、と言いたくなるようなことばかり綴られていて新年早々気分が落ちる。総評としては、心ときめくことがあっても安易に飛びつくなということらしい。ネコ科のわたしには少々難しい宿題である。

その中で唯一「学問」だけは、続けていれば結果が出るようなことが書いてあったので、とりあえずたくさん本を読む一年にしたい。

 

他に……他に今年やりたいことがあるかなと頭の中を探ったが、自分自身でもあまり要領を得ない。

ちなみにわたしは今年、働き始めて3年目になる。「とりあえず3年」の3年目に突入するのだ。そして年齢は29歳になる。だからもし転職するなら今年が最良のタイミングなのだろうけど、いまいち踏ん切りがつかない。

縁もゆかりもないこの場所で成り行き任せに就職し、「ここでずっと生きていく」のか、「東京に戻る」のか、はたまた別の道へ進むのか、決断を先延ばしにしてとりあえず日々の業務をこなしてきたが、とうとう決めねばならない時が近づいてきた。

 

1年と9か月やってみて、今の仕事の意義や面白さも少しはわかるようになってきた。転職するにしても同業種でもよいかもな、などと思ったりする。

でも今の職を続けるとして、「ここ」である必要があるのかどうか、よくわからない。

子どものころからの転校生気質が染みついているせいで、初めからなんとなく「いつかまたこの場所からも離れるのだろう」と当然のごとく考えていた。ただそれが本当に当然のことなのかどうか自信が持てない。しかし「ここで生きてく」ことが当然のこととも思えない。

 

「東京」だったら、そんなふうな迷いを持つことは少ないのだろうなあと思う。くらげのようにのらりくらりと暮らしていても、同時にいくつもの可能性をキープできるもの、都会でなら。でもわたしが今いるところは田舎だから、そうもいかない。「ここで生きてく」と決断することは、あらゆる可能性を捨てることと同じだ。どんな可能性?と聞かれてもわからないけれど。その可能性はほとんど亡霊のようなものかもしれないけれど。

どっちにしても、腹をくくらなければ後悔だけが残りそうだ。

 

 

決断力、ないんだよなぁ。

しかし決めねば。決めねば自動的に「ここで生きてく」を選択したと同じになる。そんなんでいいのだろうか。人生、積極的に決めないうちに消極的に選んでしまってよいのだろうか。

 

もやもやもやもや。

新年から頭は晴れない。本当に「末吉」な年が始まったようだ。

 

とりあえずまずは、情報収集ですかねえ。

ちなみに、神様には今年も一年、健康で無事に過ごせますようにとお願いした。それさえ叶えば、あとは自分次第だ。

 

 

今週のお題「2017年にやりたいこと」

2016年はいい年だった

雑感

2016年もあと数時間で終わる。

 

わたしは今年も一人暮らしの安アパートでひっそりと年越しを迎える。コンビニで買ったカップ麺のそばを食べて紅白を見たりお酒を飲んだり。そんな大晦日。

まだ大掃除が終わっていないからそっちもなんとかしなければならないが。普段放ったらかしのくせに、やり始めると凝ってしまうタチで、油汚れ用の洗剤でコンロを磨いたり、窓ふき用の激落ちくんを買ってきて窓を拭いたり、便器を抱えるようにしてトイレの隅まで掃除したり、そんなこんなで予想外に時間がかかっている。

年を越すまでには決着をつけたい。

 

さて、わたしがこのブログを始めたのは2016年の1月だから、始めてからほぼ1年。

ちょうどいい機会なので、ブログの記事からこの1年を振り返ってみたい。

 

 

お出かけ編

安月給なのでそんなにたいした旅行はできないのだけれど、芸術祭とかカフェ巡りとか、自分の好きなものをきちんと堪能できた、そんな年だったように思う。

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坂を愛でるために訪れた尾道では、ゲストハウスでサイレント映画ピアニストの女性と知り合い、彼女が生伴奏する映画を見に行った。その人に紹介してもらって、古民家を改装してゲストハウスを作ろうとしている現場を見に行き、話を聞かせてもらったりもしたし、面白い古本屋も見つけた。カフェ巡りをしたらしたで、店主とのんびりお話しできたし、滞在時間が24時間程度だったにもかかわらず、いろんな人と出逢えた旅だった。

ますます尾道が好きになった。2017年もいきたいと思っている。

 

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初夏ごろから妹ちゃんと計画して、やっと休みが合ったので10月にうどん県へ行ってきた。

島と現代アートがいっぺんに堪能できてこの上ない幸せ。

そしてやはり、知らない人の話を聞くのがわたしは楽しく、私設図書館をやっている方のそのいきさつを聞いたり、ゲストハウスの談話室に集った人たちからこれまで行った旅行の話を聞いたり、記事には書かなかったが、銭湯ではそこの孫娘さんや地元のおばあちゃんとお話したりしたのが印象に残っている。

ゲストハウスで知り合ったうちの一人とは、東京でまた会ったりもした。旅の出会いがつながるっていうのもまた面白い。

 

 

まらそん!

2017年はわたしにとってなんといってもマラソンの年だった。

フルマラソンに初挑戦し、そして振り返ってみるとフルマラソンに3回出場・完走していた。

また、アクアラインマラソンを目標にジムに入会したのだが、会社帰りにジムに寄る、という習慣が生活をとても充実したものにしれくれたし、月1回くらい隣町のランニングクラブの練習会に行くようにもなり、生活に本当にハリが出た。BMI指数が19を切り、ダイエットもまずまず成功、「きれい」と言われることも増えた。

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タイミングを逃して呉とびしまマラソンの感想が書けていないが、あれも楽しかった。

来年は年明け早々にローカルなハーフマラソンに出て、1月末には再び館山若潮マラソン(フル)に出る。またマラソンから始まる1年となる。

2017年は北海道マラソンとかNAHAマラソンなど、遠くの大会にエントリーして旅ランも楽しんでみたい。

 

 

かぞくのこと

友達が少ないわたしの人生において、家族は大きな存在だ。

わたしに地元に帰る気持ちがないのは、もともと転勤族で地元意識がないからというのもあるが、近くに住んでいると依存してしまいそうだからというのもある。あえて物理的に遠くに住むことで、安心して愛していられる。正月にすら帰らなくて、ごめんね。

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正月にすら帰らないという家族不孝な行動をとることでわたしの不在を感じてほしい、わたしのことを思い出してほしいという倒錯した気持ちもあるかもしれない。いい年して。わたし今年28になったのにね。

今頃みんなですき焼きをつついているのかな。

 

 

雑感

雑感メインのこのブログで、特にたくさん☆をもらったのが次の記事。ノスタルジックな記事が多い印象。

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“月を見ているとまたずううんとさびしくなってくる。たぶん、記憶の中の「いつか見た月」の映像と重なり合って、もう触ることのできない過去を、何か思い出しそうで思い出さないもどかしさがノスタルジーに拍車をかけるのだ。”

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“実際はそこには本当の未来はなくて、未来への可能性を持った今だけがあったのだ。それはとてもキラキラしていた。今しかないからキラキラしていた。だからどうしても写真に収めておかなければならなかった。”

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“振り返ると、散らかっていたものが全部片付いて部屋はとても広々としていた。一人暮らしにはちょっと広いよな、とぼやきながらわたしは、自分でもびっくりするくらい寂しさを感じていた。”

 

普段感じていることや大事にしている思い出を、上手く書けたなあと自分でも感じていた記事たちだ。

 

 

きもちの変化

なんだかんだ就職してまだ2年弱なのだ、わたしは。

モラトリアムを延長して延長して、26歳まで社会に出ずにいた人間が、世の中に適合しているんだかしていないんだかよくわからない状態のまま、地に足つけずふわふわと生きている。波のようにポジティブな感情とネガティブな感情が寄せては返すが、最近はそのどちらでもない凪の状態が多くなった気がする。

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変わってゆくのだな、ということだけ自覚している。来年の今頃はどんなわたしになっているだろう。

 

 

2016年まとめ

マラソンや旅を始め、総じて充実した年だったと思う。ここ5年間の中では間違いなく一番充実した年と言っていい。

ブログを始めたおかげというのも大きい。

たくさん旅行している人やたくさん本を読んでいる人、たくさん勉強したり仕事や趣味に邁進している人たちのブログを読んでいると刺激されて、自分も勉強を始めたり、行ってみたいところへ実際に訪れたりと、行動に移すことができた。

また、ほっこりする家族とのエピソードを書いている人や、踏んだり蹴ったりの日々を面白おかしく、あるいはひりひりする筆致で綴っている人の記事を読んでいると、なんでもない日常やうまくいかない毎日の大切さを再認識できたりもした。こうやってなんでもない日常を一日一日積み重ねるのが生きてくってことなのかなあ、にんげんってそんなものかなあって思うことも増えた。

 

そしてそれを書き残すことの重要さ。

書くことで日々が少し重量を増す。重しになって記憶に残る。しかもそれを読んでくれる人がいるっていう驚き。

大した頻度では書けないが、2017年もまだまだ続けていきたい。

読んでくれる皆様には本当に感謝申し上げます。本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

ひとりぼっちのクリスマスは

マラソン・ランニング 日常 読書

最近何度かデートしていた相手が、実は彼女がいますというので、今年のクリスマスも例によっておひとりさまである。

 

去年もこんなだったな。

去年の相手は今の時期、病気をして時短でしか働けなくなっていたくせに「その日は仕事が入って」と見え見えの噓をついていた。

 

まったく、わたしの顔に「真剣に向き合う必要ありません」みたいなことが書いてあるとでもいうのだろうか。

……そう、多分書いてあるのだろうな。どんなに表面を取り繕っても、地に足がつかない無責任な感じが全身から滲み出ているに違いない。寂しい人付き合いしかできないのは、わたし自身が寂しい人間だからだ。

 

 

昨日の23日は都内のランニングのイベントに参加していた。

東京マラソンのコースを歩道側から試走してみようというイベントで、実に7時間近くもの間、マラソン好きの人たちと一緒に、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら東京のど真ん中を走るのは本当に楽しかった。同じようなことをしている集団と途中何度かすれ違い、そのたびに「こんにちは」「おつかれさま」と声を掛け合った。こんな時期なので、中にはサンタコスをして走る集団もいて、「メリークリスマス」だなんて、東京の街中でぜんぜん知らない人たちと、そんな風に手を振りあうのも面白かった。

 

日比谷にある自転車利用者向けの施設でシャワーを浴び、ぷらぷらと東京駅に向かって歩いていると、ちょうどティファニーの前の交差点を渡ったところで17時30分になり、シャンパンゴールドのイルミネーションが一斉に灯いた。

そこら中から歓声が上がった。道行く人はみんな温かい笑顔だった。

ビルの窓ガラスにも光が反射してそれはそれは美しく、ああ、いいクリスマスだな、などとニコニコしながら家路についたのだった。

 

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土日ともに予定がない週末は久々で、せっかくだから心ゆくまで贅沢なほど休んでやろうと考えた。泥のように眠りたくて、目覚ましやアラームを全部切った。体はへとへとに疲れていたが頭が冴えてしまっていたため、数か月ぶりに引き出しの奥からアレルギーの薬を取り出して少し多めに飲み、副作用で眠くなるのを待った。

 

昼過ぎにドアチャイムの音で目が覚めた。

郵便屋さんが本を持ってきた。数日前にアマゾンで注文していた古書だ。誰かが読んだ痕跡があるのがうれしくて、最近は好んで古本を買ってしまう。

全国のいろんな古書店から送られてきたにもかかわらず、今日まとめて届いた。全部で16冊。ボーナスが出たら買おうと思ってずっと欲しいものリストに入れていたものを、このあいだ一気に注文したのだ。12月24日。図らずも自分へのクリスマスプレゼントになった。

 

いそいそと一冊ずつ包みを開く。自分で注文したくせに何を買ったか忘れていて、あ、こんな本もある、と開けるたび嬉しくなった。どれを一番に読もうかな、などと悩む必要はなかった。『それからはスープのことばかり考えて暮らした』。このブログでも何度か言及した吉田篤弘さんの本。ひとりぼっちのクリスマスに読むには、彼の本はきっと最適だろう。

何か甘いものでも飲みながら——そう思って冷蔵庫を開けると、3日前に同僚の女の子たちを招いてやったクリスマス会のお酒が何本か残っていたのでそれを開けた。甘いお酒を。

Youtubeでクリスマスソングを流しながら物語に浸る。

登場人物たちはみんなあたたかいのにどこかさびしみを持っていて、こんなわたしでも無理なく迎え入れてくれた。最後のページにスープのレシピが載っていて、真似したくなった。が、残念なことに普段自炊をしないわたしの冷蔵庫には、実家から送られてきたみかんとりんごしかない。りんごでもスープが作れるかしら。明日試してみようと決める。

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

 

 

 

昨日職場の先輩から、「年明けの休みに一緒に美術館へ行かないか」とお誘いが来ていたから今日返事をしたのだけれど、何時間たっても既読すらつかない。きっと彼にも今日を一緒に過ごす本命の彼女がいるのだろう、などと考えてしまう。

きっとわたしは、来年も再来年もクリスマスはひとりだ。

 

 

先日知人と話して言われたことを少し思い出す。

映画好きの知人に誘われ、いま恵比寿ガーデンシネマでやっているスモークという20年ほど前のアメリカの映画を見てきたときのこと。その知人とは前にも一度書いた、昔のバイト仲間だ。(たまには常識の箱をひっくり返してみる - ほんとのほんと

 

映画の帰りに渋谷の居酒屋で3時間ほど話をした。

彼の若かった頃の話とか準備中の事業の話とか奥さんとの馴れ初めとかをひとしきり聞いたあと、会話の流れで、デートをしていた相手に彼女がいたのだとわたしが話すと、

「別にその人もしゅうさんのことを騙してやろうとか都合よく遊んでやろうとか思ってなくて、しゅうさんと会っている間はその時間を大切にしてると思いますよ」

と言うから笑ってしまった。まあそうでしょうねとしか言いようがないし、普通の女の子の感覚がわからないので何とも言えないが、そういうのを世間では「都合がいい」というのではないか。

 

しかし彼は、「俺も20代のころは彼女とかほとんど作らなかったし、ちゃんと付き合う必要はないと思うけど」と言いつつ、「いつかしゅうさんにも、この人と結婚したいと思える人ができるといいですね」と言った。

まさか彼のような、王道とは程遠い人生を歩んできた人にそんなことを言われるとは思っていなかったし、彼には言わなかったけれど今回わたしは人生で10年ぶりくらいに本当に恋をしていたので、そう言われてなんだか切なくなってしまった。

でもだからこそわたしはその言葉を、心の中に大事にしまった。

 

 

honto-no-honto.hatenablog.com

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アクアラインマラソンを終えて(備忘録)

マラソン・ランニング

最近日常が目まぐるしい。

生々しすぎて文字にできず、却ってブログに書けることがないので、書こう書こうと思いつつ先延ばしになっていた、10月のアクアラインマラソン(フル)を走った感想でもここらで書いておこうと思う。

 

2年後にまたエントリーするときのためのわたし専用備忘録な内容なので、あまり面白味はないと思う。写真も撮っていないことだし、できるだけ簡潔にただメモをするのみ。

 

 

 スタートまで

10月23日。最高気温は20度を超えるようだったので半袖のウェアで臨む。ポケットにはミニサイズの金のアネッサを忍ばせて。途中塗りなおすつもりだ。最愛の肌は何が何でも守るべし。

 

さて。7:44木更津着の臨時電車で到着。

ここから荷物預かりや更衣室のある会場まで徒歩20分程度。女子更衣室は体育館のようなところで、わりと広々していた。館内のトイレは30分待ちだったが、仮設トイレはあまり使いたくないので仕方がない。

9時ごろには会場をあとにし、スタート地点を目指す。スタート地点までまた徒歩で2,30分あるのだ。

スタート地点にも大量の仮設トイレが並んでいたが、ここも長蛇の列。

トイレは更衣室のある会場で済ませてからスタート地点へ向かうか、早めにスタート地点へ行ってトイレに並ぶか、どっちかだな。いずれにせよ、トイレのために30分見ておかなきゃならない。

 

おもてなし

前半は沿道の応援などが楽しかった。

おそらくそれぞれの地域ごとに町内会が出し物をしていて、お祭りのお囃子を披露してくれたり、おばちゃんお姉さんたちがフラダンスを踊っていたりした。幼稚園や小学校、中学校単位でたくさんの子どもたちが大声で声援を送ってくれる区間もある。

とにかくにぎやかでお祭りって感じで楽しい。

 

とくにアクアラインの上空に現れた自衛隊ヘリの編隊は圧巻であった。

アクアライン上はただでさえ眺めがよく、その日は晴れていたこともあって本当にすがすがしい、「わあ、本当に海の上を走ってるんだ!」って感動してしまうようなコースだったのだが、そこへ「ドドドドド」とかっこいい音を立てて5機や7機の編隊を組んだヘリコプターが空の向こうからやってくるのだ。

多分パイロットの方たちには見えていないだろうけれど、嬉しくて思わず手を振った。

 

アクアラインを降りると、この辺では盛んなのだろうか、ちょっとやんちゃっぽい若者たちが巨大な旗を振りながらよさこいを披露してくれる。その間をくぐるように走る。

 

また、ところどころ特産品を使ったエイドステーションが設けられていて飽きなかった。お土産物屋さんさながらの様相のため、つい立ち止まって物色してしまう。びわゼリーとびわケーキと、後半のエイドではゆずジュースをもらう。びわゼリーはちゅるんと食べられてちょうどよい。

私設エイドなのか、特産品エイドとは少し離れた場所に冷凍ブルーベリーを出してくれているテーブルもあったが、これまたおいしかった。溶けかかった冷凍ブルーベリーがシャクシャクして、疲れた体に染みるのだ。また食べたい。なんだかグルメ旅みたいなマラソンになってしまっている。

 

それから、おもてなし、というのとは違うけれど、コスプレした人たちがたくさんいるのも楽しい。途中、くまモンをしょったチョッパーや、音楽を流しながら走るバットマンに出会った。コスプレしてる人たちは沿道の注目を集め、「ちょっぱーがんばれー」などとたくさん応援してもらえるので楽しいだろうな。でも、絶対暑い。着ぐるみ着て20度の中を走るなんて考えられない。みんなよくやるわ。多分彼らは変態なのだろう。

 

 コースについて

ハーフの人も一緒くたに混ざってスタートするため、アクアラインを降りてハーフの人たちと別れるまでは、とにかく人が多い。前半はキロ6分半弱くらいで進もうと思っていたのだが、7分弱くらいで走るのが精いっぱいだった。とにかく右も左も前も後ろも人・人・人で、抜かしようがないのだ。

良いタイムを狙いたいなら、実力より少し前のほうからスタートすべきかもしれない。しかしお祭り的要素の強い大会なので、無理せずニコニコ走れるこのくらいが結局ちょうどよいのかも。

 

ちなみに、ハーフマラソンとコースが分かれてからの21キロは、コース上も沿道の応援も閑散としており、それはそれでつらい。目玉のアクアラインはもう終わっちゃったし、広がる景色は稲刈りの終わった茶色い田んぼばかり。選手は疲れ始め、袖ケ浦市内の応援はまばら……。苦行の始まりである。

ただにぎやかに笑って終わりたいのなら、アクアラインマラソンはハーフマラソンが断然におすすめである。

 

エイドステーションは、アクアライン上を除いて2キロおきくらいに設置されていて、十分すぎるくらいだった。全部で水をもらっていたらおなかがタプタプになるので、適宜スルーする。

この大会は、まだ暑い10月中に行うためか、アクアラインを閉鎖する時間帯の関係で最初の関門が早めに設定されているためか、完走率が結構低い。多分その対策でこんなにもエイドを設けているのだろう。

 

とはいえアクアライン上は5.5キロに渡ってエイドステーションのない区間がある。暑かったら水なしで5.5キロはつらいかな? と思い、念には念を、とわたしはペットボトルを入れたボトルポーチを身に着けて走ったのだが、結局必要なかった。橋を渡るのはまだ最高気温に到達する前だし、気持ちが高ぶっている中での5.5キロはあっという間なので、手ぶらで走っても問題なかったようだ。むしろ邪魔。

 

そしてコースのきつさについてだが、終盤まではずうっとフラットな道が続く。アクアラインは確かに登って降りて、にはなるが、まだ前半で足が軽いし海の上ですがすがしいしであまり気にならない。

問題は34キロ地点のあたりからやってくる二つの坂だ。2,30メートルほどの高低差を一気に駆け上がる。歩いている人も結構いた。時間がかかったら余計つらいと思ってわたしは歩かなかったが、終盤であの坂はたしかに歩きたくなっちゃうよね、という感じ。次臨むなら、ちゃんと坂道の練習もしておきたい。

 

さいごに

本当に楽しい楽しい大会だった。

スタートするまでは「マラソンって楽しいものだったっけ、どうだっけ」などと首をかしげながら来たものの、いざ走り始めるとわけがわからないくらいに楽しくて楽しくて仕方がなかった。

なんだか見るものすべてが新しいっていう、子どものころに還ったようなときめき。

特にアクアラインの上!

本当に海の上を、空の上を走っているようなあの感じ。

高速道路のため普段は車からでないと見られないその景色は、自分の足で踏みしめて見てみると、車の中からよりずっと大きく見えた。おなじみの緑色の標識も、真下から見上げるととてつもなく大きく迫力があった。

普段は道路情報を流しているのであろう電光掲示板もランナーたちにエールを送り、自衛隊のヘリも次々とやってきて歓迎してくれる。

思い出すだけでふふふって笑ってしまう。

 

本当に、なんであんなに楽しいのだろうね?

たしかにアクアライン降りたあとはわりとつらかったけども。

あのわけのわからない高揚感を味わえただけでも十分に元は取れた感がある。

 

次回も是非またエントリーしたい。

次までにはもっと胃を強くして、エイドステーションの特産品をもっと色々たべたい。できれば全種類。目指せコンプリート。 

 

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アップデート

雑感

月曜の朝、出勤しようと家を出て、手袋をはめた手で鍵をかけた瞬間、

 

 あ、アップデートされてる。

 

と感じた。

わたしが、アップデートされている、と。

よくわからないが、わたしの中のパーツがひとつだけ別のものに交換されたような。ちょっとだけ仕様変更されたような。そんな感覚がポッと生まれたのだ。会社へ向かう足が心なしか軽い。

 

前にもこんなことがあった。27歳の誕生日。あれは今回みたいな小さなモデルチェンジみたいなものでなく、全身リニューアルされたようなかなりくっきりした体験だったけれど。26歳のわたしを脱ぎ捨て、曇っていた視界が急に明るくなった。見えなかったものが見えるようになったような。世界にじかに触れているような、けれど誰からも傷つけられることのない強い皮膚を手に入れたような。怖いものがいくつも、いっぺんに消えたような。

昨日までの自分とは違うのだ。はっきりそう思った。

 

 

今回のアップデートはもっとささやかなものである。

それでも、先週の金曜日まで、同じように出勤していた自分とは確実に違っている。何かが変わったのだ。わたしが機械仕掛けのロボットならば、わき腹部分の内部の小さな歯車が一つだけ、知らないうちに交換された、そんな感じ。機能にほとんど変更はない。前までも不具合は出ていなかったし今回の部品も問題なく適合している。けれど、何か違うのだ。善い変化か、悪い変化かはこの時点ではわからない。でも少し心が軽い。

きっかけは何だろう。土日に行った東北でのボランティアか、金曜の夜にある人と話をしたことか。それともその両方か。いずれにしても人と触れ合う量の多い週末ではあった。あるいは、この数か月間で積み重なった何かがこの週末で臨界点に達しただけなのかもしれない。兆しはあったような気はする。

 

 

変化はいつも寂しさを伴う。

それは昨日までのわたしを忘れていくことだから。貧乏性のわたしは、どうしてももったいないと感じてしまう。かわいそうな昨日までのわたし。あんなに震えながら生きてきたのに、自分自身にまで忘れられてしまうなんて。

 

さびしい、かなしい。そう思って昨日までの自分を手繰り寄せようとするが、もう遅い。昨日までより少し高い場所にわたしはいるのだ。もう、昨日までのわたしは同じ空間にはいない。

 

さびしい、かなしい。微笑みながらつぶやいている。

さびしがりながら、もう次のアップデートが待ち遠しい。こうやってどんどん平凡になってゆくのだろう。さびしい、かなしい。こうやって心はどんどん軽くなってゆくのだろう。さびしい、かなしい。こうして今まで大切にしてきたものまで全部全部落としていって、次のわたしは、その次のわたしは、どんどん笑顔が増えていくのだろう。

 

さびしがりながら、次に進む。そしてどうか、増えていく笑顔が乾いたものではありませんように。そしてどうか、本当に大切なものが最後にきちんと残っていますように。