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ほんとのほんと

一浪&三留したアラサーダメ人間が社会と自分とのギャップに半笑いで半ば諦めながら立ち向かって(?)ゆくブログ。  精神年齢は最近19歳になった。

仕事ってそういうものなのだなと改めて認識した話

この一年間、日々の業務の合間にコツコツ進めてきた仕事がある。

本当はわたしの仕事ではないのだが、担当者がメンタルにちょこっと問題のある方で、わたしが「お手伝いする」という名目でガッツリ中心になってやらせてもらっている。

 

重要性でいえば大した仕事ではないのだが、数十ページある冊子を作るということで、準備することも多く大変勉強になった。現場の声を吸い上げるため関係者に集まってもらって会議を開いたり、事実確認をするため過去の資料をひっくり返したり、他部署に聞き取りを行ったり。普段やってるわたしの業務はやり方を教えれば中学生でもこなせそうな単調なものが大半であるから、これは貴重な経験。「仕事の練習」という感覚で取り組ませてもらった。ありがたいことである。

 

 

取り組みはいよいよ最後の仕上げに入っている。担当者としてはモノはもうだいたい出来上がったつもりでいるが、上司に最終チェックをしてもらうのだ。「忙しいから無理」と断られに断られてきたが、年度末になりようやく実現。

 

「やっと完成しますね!」

本来の担当者である先輩に、晴れ晴れと話しかけた。先輩もニコニコしている。

 

小さな会議室にて、先輩と係長とで課長に内容を説明する。

課長は重箱の隅をつついてつついて、2分で済む指摘を10分かけて盛り上げに盛り上げて指摘してくスタイルの方であるため、打ち合わせはなかなか進まない。わたしの目はどんどん死んでいく。ここの会議室は簡易的なものなので、椅子もパイプ椅子しかなく、だんだんお尻が痛くなってくる。課長はご自身のお肉がクッションになるからあまり痛くないんだろうなぁなどとぼんやり考えながら、指摘事項をメモ。

 

そしてどうだろう。打ち合わせが進むごとに、オセロがひっくり返るごとく、あれよあれよと内容がひっくり返っていくではないか。とくに現場の方から意見を聞いて反映させた部分はことごとく覆っていく。

ここもバツ、ここもバツ、ここもここもここもバツバツバツ

 

「現場の実情なんかどうでもいいんだよ。これで何かトラブルがあったら困るだろ」

 

声を荒らげる課長。つまり何かあったときに責任逃れができるやり方をしろということである。管理職目線ってやつですね、大変勉強になります。

 

 

そろそろと頭痛の予感がしだしたころ、午前・午後と続いた打ち合わせが、やっと一段落。会議室を出ていく課長を悶々とした気持ちで見送ると、係長から耳打ち。

 

「課長はおそらく今年異動になるから、とりあえず今年は課長の言う通り仕上げて。不評なら来年度以降また直していきましょう」

 

なるほどそういう仕事の仕方があるんですね、大変勉強になります。疲れ切って乾いた笑い声を立てながらわたしは頷いた。

 

 

 

……なんだか愚痴っぽいエントリーになってしまったが、愚痴が書きたかったわけではない。仕事ってそういうものなのだなと改めて認識した、と言う話。

会社あるいは自分の立場を守るのも、上司の圧力をやり過ごすのもとても大事。とても現実的。お客さんだけ、現場だけ見ていては駄目なのだ。それが今回の気づき。わたしも社会人になったのだなあとしみじみしている。

 

しかし願わくば、わたしはもうちょっとバランス感覚のある大人になっていきたい。

いろんな人の思いや圧力をどう縫い合わせていくか、あるいはかわしていけるか、がわたしの今後の課題だな。頑張りましょう。




(でも自分で指摘して直させておいたのにその事を忘れて、同じ場所を「ここはおかしいだろ」と元に戻させるのはちょっとやめてほしいかも☆)(結局愚痴になった!)

恋と転職

だいぶご無沙汰しています。

皆さんいかがお過ごしですか。

 

さて、以前の記事で書いた人が彼女に振られたというので順位繰り上げ(?)でわたしが彼女ということになった。らしい。

honto-no-honto.hatenablog.com

 

以来毎週末会っている。大抵、金曜の夜から日曜の午後までを二人ですごす。

 恋愛ってこんなにも時間をとられるものなのか、と28歳にしてそんなことに驚いている。なにせ前の人とは月1くらいでしかデートしなかったものだから。

 

休日がそんな感じになってしまったし、平日の夜は大抵ファミレスで勉強して帰るので、ひと月半もブログが書けなかった。

本当はこのあいだのフルマラソンの感想とか、職場の人に誘われてゴルフを始めた話とか、ド田舎にある同僚の実家に泊まりに行った話とか、書きたいことがたくさんあったのだけれど、なんだかんだと入ってくるスケジュールに押し流されて気づけば春の目の前まで来ていた。

 

なんとか今週は、「友達と遊ぶ予定が入っているから」と噓をついて、数週間ぶりに彼女業に休みをもらった。(本当はただ資格の検定試験を受けていただけだが、勉強しているというのが何だか恥ずかしいことのように思われてリア充ぶった嘘をついた。)

 

土曜日の昨日は、久々に朝からスタバへ行き、休日の時間を全部自分のために使えることの幸せと贅沢とをあらためて認識した。時々はこんな日がほしい。

 

 

とかなんとか書いているものの、すでに交際に嫌気がさしているとかそういうことは全くなく。

通勤路をてくてく歩いている途中にふと相手と自分との似ている点を数えだして、「こんなに似ているのは、きっと生まれる前は同じ人間だったに違いない。生まれる前に存在が二つに分かれて、今やっと片割れに再会したのだな」などとメルヘンなことをナチュラルに考える程度には、酷く恋をしている。

女の子たちからは「彼女に振られたからって簡単に乗り換えるような男でいいの?」と言われるがそんなことどうでもいい。

一日のうちの13時間くらいは相手のことを考えている。きっと今IQテストを受けたら、もともと高くないスコアがさらに急落していることがわかるに違いない、と自分で思う。

 

 

と、いうわけでわたしは転職することにした。

なにが「と、いうわけで」なんだよ、と突っ込みが入りそうなので、ざっくり説明すると理由は以下の通り。

 

 

正直、彼女がいたのにわたしと浮気をしていたような人であるし、わたしにはこのブログにも書いていない、知られたら100年の恋も冷めるかもしれないちょっとした秘密もあるから、「いつかわたしも紙くずのように捨てられてしまうのかね」とも考えないでもないが、上記の理由の4番目が大きすぎて、大きすぎて。

 

大学を何年も留年し、働きたくないな、でもずっと学生でもいられないしな、もう人間やめたいな、などと考えていたころ、父に相談すると、「じゃあこういう業界どう?」と勧められたのが今いる業界だ。

地元に帰るの嫌、だれもわたしのことを知らない土地がいいということで東京もダメ、でももう方言はこりごり、ということで関東。その中で「このヘンならわたしなんかでも雇ってくれるんじゃね?」と舐めくさった消去法で受けたのが今の会社だった。

 

……文字にすると我ながら最低である。でも一応言い訳させてもらうと、わたしが大学で就活していたころはちょうど就職難の大嵐が吹き荒れていて、夢も希望もなかったのだ。

そんな中ホワイトな会社に奇跡的に雇ってもらったのだから文句を言うべきではないのだろうが、いかんせん暇で暇で仕方がない日がたくさんあって困る。

 

2年間穏やかな職場で規則正しく働いてみて、最近はすこし気力が戻ってきた。気力が戻ると欲がわく。楽すぎる仕事は存在意義を見失ってかえってつらい。

今の職場でも何人か尊敬できる先輩や上司もいるが、もう一度自分の人生をきちんと自分で選びなおしてもいいんじゃないかと思う。甘いだろうか? でももう一回頑張りたいのだ、わたしは。楽な仕事がしたくて大変な受験勉強を乗り越え大学に進学したわけじゃない。

 

 

彼には良いきっかけをもらった。

一緒にいてこれほど幸せな気持ちになり、かつ気取る必要がなくてラクな相手に巡り合えるなんて人生で初めてだし、この先ももうないだろうから、いつまでも寄り添っていけたらいい。そのための最大限の努力はしたい。

でも一方で、わたしの悪い癖で、どうしても上手くいかない未来を同時に想像してしまうのだ。仕事中でも気持ち悪い思い出し笑いをしながら、同時に紙くずのように振られる未来を想定している。だから、「それでもここからがわたしの人生だ」と前向いて大股で歩いていけるような仕事を探そう、と決めた。

 

ホキ美術館で写実画を見たので感想を

先日、ホキ美術館に行ってきた。

 

写実画ばかり展示している美術館。

人物画、風景画、静物画、いろいろあったがどれも一瞬写真かと見紛うほどリアルで精緻な絵だった。

久々に、純粋に絵に対して「あ、いい」とときめいたのでちょこっとだけ記録しておく。 

hoki-museum.jp

 

一見写真のよう、でも写真じゃない。

去年、原美術館でやっていた篠山紀信の写真展なんかも見に行ったが、それよりもこっちのほうがわたしは心を動かされた。(テイストが全く違うので比べるのはおかしいのだけど)

 

写真と写実画と、何が違うのだろうと考えてひとつわかったのが、写真には必ず被写体があるということ。

原美術館で見たのはヌード写真だったけれど、人物を撮った写真なら、たとえモデルの顔が見えないような角度で撮られていたとしても、彼女(彼)は確実にそこにいるのだ。生々しい人間が、カメラマンの意思を越えて直接鑑賞者に存在を主張してくる。良くも悪くも。わたしにはそれがどうにも邪魔だった。

 

しかし絵はそうでない。どんなに写真のように精密に描かれていても、もしかしたらそれは現実には存在しないものや人かもしれないのだ。

だからモデルの個性は消えて、ただ作家が美しいと感じたものだけがそこに現れる。

 

それが、わたしがときめいた理由だと思う。だって、わたしもいつも見ているのだ。とても美しいものを。友人のふとした表情とか、電車の窓から見えるごちゃごちゃした街の向こうの富士山とか、ちょっとスカートが翻った時のその角度とか、仕事帰りになんとなく振り仰いだ空の色とか、たまたまエレベーターに乗り合わせた女性の、ストッキングに包まれた若い脚とか。

 

でもそういうのは写真には写らない。何の変哲もなさすぎるし、第一いらないものが写りすぎる。いや、本当に上手な人ならちゃんと表現できるのかもしれないけれど。でもだいたい、綺麗に見えた友人も写真に撮ってみればたいした美人ではなかったりするし、汚い街並みの向こうにちょこっとだけ顔を出している霞んだ富士山は、自分の目で見ているとき以外美しくは見えないと思う。

 

人間がものを見るとき、写真のようには見ていなくて、たいてい、見たいものを見ている。ふと何かを見て「ああ、綺麗だな」と感じるとき、わたしはその「ああ、綺麗だな」と感じた印象だけを見ている。友人の横顔を美しいと感じるとき、わたしはその友人を見ていない。彼女の性格がいいとか悪いとかどうでもよくて、ただ美しい光と形を見ている。

 

その感覚と、今回ホキ美術館で写実画を見て感じたものが、とても似通っていたのだ。

極限までリアルに描かれた絵からは、却って対象の存在感は薄れて、作家の理想が出現し、彼らが現実の奥底に見た「美そのもの」とかそういうものが色濃く立ち上っていた。だからわたしは安心して、立ち現れた「美」だけを眺めることができた。そのことが何だか、共感を得たような気持ちにさせる。わたしは安堵し、懐かしいような気持ちになった。

 

 

もちろん、美しさを追い求めた絵だけではなかったけれど、やっぱり単純にきれいなものがわたしは好きなので、「とにかく美しい」絵しかあまり記憶に残っていない。

現代の絵画には、「思想」とか「哲学」がいつもついて回る印象があるけれど、ホキ美術館で見た絵には、そんなもの関係なくただ純粋に「美しい」を追い求めたような作品がたくさんあったのも、楽しめた要因の一つだと思う。

 

 

帰りに、裸婦画のポストカードを一枚買った。

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美術館の建物自体も素敵だった。

ギャラリーは湾曲した細長い回廊のようになっていて、そこに展示された絵を一枚一枚眺めているうちに非日常の世界に入り込んでいけるかのようだった。

 

良い時間を過ごせた。

今年中にまた行きたい。

コツはとにかく「がんばらないこと」

休日に早起きして洗濯物を干し(部屋干し)、化粧もしてさあ出るぞ!というところで天候により今日のマラソンの練習会が中止になったと連絡を受けた。

昼過ぎまでの予定が消えて突然暇になってしまったのだが、コンタクトレンズ(ワンデー)もしてしまったし今から二度寝するのもなあ、というわけで朝っぱらからブログを書いている。

 

 

この練習会はだいたい月1で行われているが、月謝や年会費を払ってキチンとレクチャーを受けるような本格的なものではなく、都度1,000円程度の参加費を払って自分の行きたい時だけ参加できるゆるいものだ。主催者もスポーツのある一部に関しての専門性は持っているようだが、マラソンに関しては特別速いわけではない普通の市民ランナーで、いつもゆるゆるとおしゃべりしながらLSDをやるだけである。

参加者は、レギュラーメンバーのように毎回出ている人もいるが、わたしのように予定の合う時だけ現れる人もいるし、「ネット見て来ました」と言ってやってくる初参加の人がいつも3割くらいはいる。いつでも着脱可能な会である。

 

このゆるさがいい、とわたしは思っている。

 

よく、「趣味で時々ジョギング程度はやるがマラソン大会に出たことはない」くらいの人たちから「どうやったらフルマラソンなんて完走できるの?」などと聞かれるが、何のことはない、頑張らなければいいだけの話である。

そりゃあ、好タイムを狙うなら必死の練習も必要だろうし本番も必死に走らないとならないだろうが、完走だけが目的なら週3日程度の練習でも足りるし、東京マラソンのように制限時間の長い大会なら、本番もおしゃべりしたりおやつを食べながら走ったってゴールできるのである。

頑張りすぎちゃうといやになっちゃうし、35キロを過ぎてパタッと足が動かなくなったりもするらしいから、コツはとにかく「がんばらないこと」。そんなんでも続ければ次第に距離は伸びるしタイムも多少は縮むのだ。

 

練習会もだから、「絶対行かなきゃ」とか「次回までにこれくらい筋トレして体作っておかなきゃ」みたいなプレッシャーのあるやつはダメで、「まあ、行ってみるか」くらいのテンションでふらっと参加できるものが、辞めずに続けられて却って力が付く。と思っている。

 

無理をしない。これが大事。

 

最近特に、このことに気を付けて生活している。

というのも、最近のわたしは大学に入って間もないころのわたしとテンションが似ているからだ。

大学1,2年のころのわたしは、夏目漱石の三四郎よろしく、これまで田舎で経験してきたことはいったい何だったのかというくらいに見るものすべてが強烈な鮮やかさをもって感じられ、しかも自分もその一員になれるのだという気がして、興味が向いたものにはなんにでも首を突っ込んでみた。そして首を突っ込むと、頑張らないではいられなかった。

試験に結びつかないものでも気になることがあると図書館へ行って文献を探したし、サークルでは自分で脚本を書いて映画を撮っていた。バイトは「楽に稼げるか」よりも「興味ややりがいを感じられるか」を基準に選んで苦手な接客もこなし、それも一時期は海外へ行く資金をためるべく掛け持ちもしていた。海外でインターンもしたしそのための英語の勉強もした。もちろん、趣味の読書もしていたし、そのころから時々ジョギングもしていた。そして対人コミュニケーションに関しても、「うまくやらなきゃだめだ」とか「周りのリア充大学生たちと同じようにキラキラしてなきゃだめだ」っていうストレスを勝手に感じていたように思う。

 

そのくらいのことを軽々こなす要領のいい人もいるだろうけれど、まあ、わたしのキャパは間違いなく超えていたわけだ。今になって考えると。

歯車がうまくかみ合って全部回っているうちはよいのだが、どこかで躓くとたちどころにダメになる。なにせ全部の歯車をフル回転させている状態を自分のデフォルトだと思い込んでいるので、どこか一部がダメだと理想との乖離に必要以上に焦ってしまい、そして全部嫌になってしまうからだ。

 

その結果が3回もの留年である……というわけではなく、留年は他にも原因がいくつかあるのだが、でも要因の一つであったことは間違いない。

 

 

そして最近、あの頃のテンションと似てきているのだ。

いろんなものに興味が出てきて、本を読む量が増えているし、実際に足を運んだりしている。趣味に関しても、仕事に関しても、人付き合いに関しても。

心躍る楽しいことがたくさん。

 

これは良くない兆候。

留年時代のモグラ生活再びか。そう思ってわたしはひやひやしている。

 

 

がんばってはいけない。理想を高く掲げすぎてはいけない。

 

そう、このマラソンの練習会のように。細々とでも続けられれば何かしら得るものはあるのだから、まずは気楽にやれる程度から。肩の力を抜いて。ゆるっとね。人に好かれるとか嫌われるとかもはやどうでもいい。自分が心地よいかどうか。

 

そうやって少しずつ走れる距離が延びるように、ゆっくりと人と仲良くなれたらいい、仕事で成長できたらいい。

そしていつか、ほんとのほんとの踏ん張りどころに直面したら、その時だけ、気合をいれましょう。

 

 

さて、練習会は中止になったが天候は回復してきているようだ。せっかくだから、のんびりジョギングに出かけようかな。

今年のもくひょう……?

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

って、誰に言うでもないけどごあいさつ。

 

そろそろ正月気分も抜けて明日からの仕事モードに帰りつつあるが、新年最初のブログなので、今年の展望的なものでも書いておこうか。

 

 

昨日、近くの神社へ初詣に行っておみくじを引いたところ、末吉と出た。何とも微妙でつまらない。今年はあまり運勢がよろしくないよう。

 

待ち人、来るが遅い。失せ物、返らない。恋愛、出会いあるも危険。縁談、良縁だが人から阻まれる。エトセトラエトセトラ。なんじゃそりゃ、と言いたくなるようなことばかり綴られていて新年早々気分が落ちる。総評としては、心ときめくことがあっても安易に飛びつくなということらしい。ネコ科のわたしには少々難しい宿題である。

その中で唯一「学問」だけは、続けていれば結果が出るようなことが書いてあったので、とりあえずたくさん本を読む一年にしたい。

 

他に……他に今年やりたいことがあるかなと頭の中を探ったが、自分自身でもあまり要領を得ない。

ちなみにわたしは今年、働き始めて3年目になる。「とりあえず3年」の3年目に突入するのだ。そして年齢は29歳になる。だからもし転職するなら今年が最良のタイミングなのだろうけど、いまいち踏ん切りがつかない。

縁もゆかりもないこの場所で成り行き任せに就職し、「ここでずっと生きていく」のか、「東京に戻る」のか、はたまた別の道へ進むのか、決断を先延ばしにしてとりあえず日々の業務をこなしてきたが、とうとう決めねばならない時が近づいてきた。

 

1年と9か月やってみて、今の仕事の意義や面白さも少しはわかるようになってきた。転職するにしても同業種でもよいかもな、などと思ったりする。

でも今の職を続けるとして、「ここ」である必要があるのかどうか、よくわからない。

子どものころからの転校生気質が染みついているせいで、初めからなんとなく「いつかまたこの場所からも離れるのだろう」と当然のごとく考えていた。ただそれが本当に当然のことなのかどうか自信が持てない。しかし「ここで生きてく」ことが当然のこととも思えない。

 

「東京」だったら、そんなふうな迷いを持つことは少ないのだろうなあと思う。くらげのようにのらりくらりと暮らしていても、同時にいくつもの可能性をキープできるもの、都会でなら。でもわたしが今いるところは田舎だから、そうもいかない。「ここで生きてく」と決断することは、あらゆる可能性を捨てることと同じだ。どんな可能性?と聞かれてもわからないけれど。その可能性はほとんど亡霊のようなものかもしれないけれど。

どっちにしても、腹をくくらなければ後悔だけが残りそうだ。

 

 

決断力、ないんだよなぁ。

しかし決めねば。決めねば自動的に「ここで生きてく」を選択したと同じになる。そんなんでいいのだろうか。人生、積極的に決めないうちに消極的に選んでしまってよいのだろうか。

 

もやもやもやもや。

新年から頭は晴れない。本当に「末吉」な年が始まったようだ。

 

とりあえずまずは、情報収集ですかねえ。

ちなみに、神様には今年も一年、健康で無事に過ごせますようにとお願いした。それさえ叶えば、あとは自分次第だ。

 

 

今週のお題「2017年にやりたいこと」

2016年はいい年だった

2016年もあと数時間で終わる。

 

わたしは今年も一人暮らしの安アパートでひっそりと年越しを迎える。コンビニで買ったカップ麺のそばを食べて紅白を見たりお酒を飲んだり。そんな大晦日。

まだ大掃除が終わっていないからそっちもなんとかしなければならないが。普段放ったらかしのくせに、やり始めると凝ってしまうタチで、油汚れ用の洗剤でコンロを磨いたり、窓ふき用の激落ちくんを買ってきて窓を拭いたり、便器を抱えるようにしてトイレの隅まで掃除したり、そんなこんなで予想外に時間がかかっている。

年を越すまでには決着をつけたい。

 

さて、わたしがこのブログを始めたのは2016年の1月だから、始めてからほぼ1年。

ちょうどいい機会なので、ブログの記事からこの1年を振り返ってみたい。

 

 

お出かけ編

安月給なのでそんなにたいした旅行はできないのだけれど、芸術祭とかカフェ巡りとか、自分の好きなものをきちんと堪能できた、そんな年だったように思う。

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坂を愛でるために訪れた尾道では、ゲストハウスでサイレント映画ピアニストの女性と知り合い、彼女が生伴奏する映画を見に行った。その人に紹介してもらって、古民家を改装してゲストハウスを作ろうとしている現場を見に行き、話を聞かせてもらったりもしたし、面白い古本屋も見つけた。カフェ巡りをしたらしたで、店主とのんびりお話しできたし、滞在時間が24時間程度だったにもかかわらず、いろんな人と出逢えた旅だった。

ますます尾道が好きになった。2017年もいきたいと思っている。

 

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初夏ごろから妹ちゃんと計画して、やっと休みが合ったので10月にうどん県へ行ってきた。

島と現代アートがいっぺんに堪能できてこの上ない幸せ。

そしてやはり、知らない人の話を聞くのがわたしは楽しく、私設図書館をやっている方のそのいきさつを聞いたり、ゲストハウスの談話室に集った人たちからこれまで行った旅行の話を聞いたり、記事には書かなかったが、銭湯ではそこの孫娘さんや地元のおばあちゃんとお話したりしたのが印象に残っている。

ゲストハウスで知り合ったうちの一人とは、東京でまた会ったりもした。旅の出会いがつながるっていうのもまた面白い。

 

 

まらそん!

2017年はわたしにとってなんといってもマラソンの年だった。

フルマラソンに初挑戦し、そして振り返ってみるとフルマラソンに3回出場・完走していた。

また、アクアラインマラソンを目標にジムに入会したのだが、会社帰りにジムに寄る、という習慣が生活をとても充実したものにしれくれたし、月1回くらい隣町のランニングクラブの練習会に行くようにもなり、生活に本当にハリが出た。BMI指数が19を切り、ダイエットもまずまず成功、「きれい」と言われることも増えた。

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タイミングを逃して呉とびしまマラソンの感想が書けていないが、あれも楽しかった。

来年は年明け早々にローカルなハーフマラソンに出て、1月末には再び館山若潮マラソン(フル)に出る。またマラソンから始まる1年となる。

2017年は北海道マラソンとかNAHAマラソンなど、遠くの大会にエントリーして旅ランも楽しんでみたい。

 

 

かぞくのこと

友達が少ないわたしの人生において、家族は大きな存在だ。

わたしに地元に帰る気持ちがないのは、もともと転勤族で地元意識がないからというのもあるが、近くに住んでいると依存してしまいそうだからというのもある。あえて物理的に遠くに住むことで、安心して愛していられる。正月にすら帰らなくて、ごめんね。

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正月にすら帰らないという家族不孝な行動をとることでわたしの不在を感じてほしい、わたしのことを思い出してほしいという倒錯した気持ちもあるかもしれない。いい年して。わたし今年28になったのにね。

今頃みんなですき焼きをつついているのかな。

 

 

雑感

雑感メインのこのブログで、特にたくさん☆をもらったのが次の記事。ノスタルジックな記事が多い印象。

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“月を見ているとまたずううんとさびしくなってくる。たぶん、記憶の中の「いつか見た月」の映像と重なり合って、もう触ることのできない過去を、何か思い出しそうで思い出さないもどかしさがノスタルジーに拍車をかけるのだ。”

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“実際はそこには本当の未来はなくて、未来への可能性を持った今だけがあったのだ。それはとてもキラキラしていた。今しかないからキラキラしていた。だからどうしても写真に収めておかなければならなかった。”

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“振り返ると、散らかっていたものが全部片付いて部屋はとても広々としていた。一人暮らしにはちょっと広いよな、とぼやきながらわたしは、自分でもびっくりするくらい寂しさを感じていた。”

 

普段感じていることや大事にしている思い出を、上手く書けたなあと自分でも感じていた記事たちだ。

 

 

きもちの変化

なんだかんだ就職してまだ2年弱なのだ、わたしは。

モラトリアムを延長して延長して、26歳まで社会に出ずにいた人間が、世の中に適合しているんだかしていないんだかよくわからない状態のまま、地に足つけずふわふわと生きている。波のようにポジティブな感情とネガティブな感情が寄せては返すが、最近はそのどちらでもない凪の状態が多くなった気がする。

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変わってゆくのだな、ということだけ自覚している。来年の今頃はどんなわたしになっているだろう。

 

 

2016年まとめ

マラソンや旅を始め、総じて充実した年だったと思う。ここ5年間の中では間違いなく一番充実した年と言っていい。

ブログを始めたおかげというのも大きい。

たくさん旅行している人やたくさん本を読んでいる人、たくさん勉強したり仕事や趣味に邁進している人たちのブログを読んでいると刺激されて、自分も勉強を始めたり、行ってみたいところへ実際に訪れたりと、行動に移すことができた。

また、ほっこりする家族とのエピソードを書いている人や、踏んだり蹴ったりの日々を面白おかしく、あるいはひりひりする筆致で綴っている人の記事を読んでいると、なんでもない日常やうまくいかない毎日の大切さを再認識できたりもした。こうやってなんでもない日常を一日一日積み重ねるのが生きてくってことなのかなあ、にんげんってそんなものかなあって思うことも増えた。

 

そしてそれを書き残すことの重要さ。

書くことで日々が少し重量を増す。重しになって記憶に残る。しかもそれを読んでくれる人がいるっていう驚き。

大した頻度では書けないが、2017年もまだまだ続けていきたい。

読んでくれる皆様には本当に感謝申し上げます。本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

ひとりぼっちのクリスマスは

最近何度かデートしていた相手が、実は彼女がいますというので、今年のクリスマスも例によっておひとりさまである。

 

去年もこんなだったな。

去年の相手は今の時期、病気をして時短でしか働けなくなっていたくせに「その日は仕事が入って」と見え見えの噓をついていた。

 

まったく、わたしの顔に「真剣に向き合う必要ありません」みたいなことが書いてあるとでもいうのだろうか。

……そう、多分書いてあるのだろうな。どんなに表面を取り繕っても、地に足がつかない無責任な感じが全身から滲み出ているに違いない。寂しい人付き合いしかできないのは、わたし自身が寂しい人間だからだ。

 

 

昨日の23日は都内のランニングのイベントに参加していた。

東京マラソンのコースを歩道側から試走してみようというイベントで、実に7時間近くもの間、マラソン好きの人たちと一緒に、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら東京のど真ん中を走るのは本当に楽しかった。同じようなことをしている集団と途中何度かすれ違い、そのたびに「こんにちは」「おつかれさま」と声を掛け合った。こんな時期なので、中にはサンタコスをして走る集団もいて、「メリークリスマス」だなんて、東京の街中でぜんぜん知らない人たちと、そんな風に手を振りあうのも面白かった。

 

日比谷にある自転車利用者向けの施設でシャワーを浴び、ぷらぷらと東京駅に向かって歩いていると、ちょうどティファニーの前の交差点を渡ったところで17時30分になり、シャンパンゴールドのイルミネーションが一斉に灯いた。

そこら中から歓声が上がった。道行く人はみんな温かい笑顔だった。

ビルの窓ガラスにも光が反射してそれはそれは美しく、ああ、いいクリスマスだな、などとニコニコしながら家路についたのだった。

 

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土日ともに予定がない週末は久々で、せっかくだから心ゆくまで贅沢なほど休んでやろうと考えた。泥のように眠りたくて、目覚ましやアラームを全部切った。体はへとへとに疲れていたが頭が冴えてしまっていたため、数か月ぶりに引き出しの奥からアレルギーの薬を取り出して少し多めに飲み、副作用で眠くなるのを待った。

 

昼過ぎにドアチャイムの音で目が覚めた。

郵便屋さんが本を持ってきた。数日前にアマゾンで注文していた古書だ。誰かが読んだ痕跡があるのがうれしくて、最近は好んで古本を買ってしまう。

全国のいろんな古書店から送られてきたにもかかわらず、今日まとめて届いた。全部で16冊。ボーナスが出たら買おうと思ってずっと欲しいものリストに入れていたものを、このあいだ一気に注文したのだ。12月24日。図らずも自分へのクリスマスプレゼントになった。

 

いそいそと一冊ずつ包みを開く。自分で注文したくせに何を買ったか忘れていて、あ、こんな本もある、と開けるたび嬉しくなった。どれを一番に読もうかな、などと悩む必要はなかった。『それからはスープのことばかり考えて暮らした』。このブログでも何度か言及した吉田篤弘さんの本。ひとりぼっちのクリスマスに読むには、彼の本はきっと最適だろう。

何か甘いものでも飲みながら——そう思って冷蔵庫を開けると、3日前に同僚の女の子たちを招いてやったクリスマス会のお酒が何本か残っていたのでそれを開けた。甘いお酒を。

Youtubeでクリスマスソングを流しながら物語に浸る。

登場人物たちはみんなあたたかいのにどこかさびしみを持っていて、こんなわたしでも無理なく迎え入れてくれた。最後のページにスープのレシピが載っていて、真似したくなった。が、残念なことに普段自炊をしないわたしの冷蔵庫には、実家から送られてきたみかんとりんごしかない。りんごでもスープが作れるかしら。明日試してみようと決める。

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

 

 

 

昨日職場の先輩から、「年明けの休みに一緒に美術館へ行かないか」とお誘いが来ていたから今日返事をしたのだけれど、何時間たっても既読すらつかない。きっと彼にも今日を一緒に過ごす本命の彼女がいるのだろう、などと考えてしまう。

きっとわたしは、来年も再来年もクリスマスはひとりだ。

 

 

先日知人と話して言われたことを少し思い出す。

映画好きの知人に誘われ、いま恵比寿ガーデンシネマでやっているスモークという20年ほど前のアメリカの映画を見てきたときのこと。その知人とは前にも一度書いた、昔のバイト仲間だ。(たまには常識の箱をひっくり返してみる - ほんとのほんと

 

映画の帰りに渋谷の居酒屋で3時間ほど話をした。

彼の若かった頃の話とか準備中の事業の話とか奥さんとの馴れ初めとかをひとしきり聞いたあと、会話の流れで、デートをしていた相手に彼女がいたのだとわたしが話すと、

「別にその人もしゅうさんのことを騙してやろうとか都合よく遊んでやろうとか思ってなくて、しゅうさんと会っている間はその時間を大切にしてると思いますよ」

と言うから笑ってしまった。まあそうでしょうねとしか言いようがないし、普通の女の子の感覚がわからないので何とも言えないが、そういうのを世間では「都合がいい」というのではないか。

 

しかし彼は、「俺も20代のころは彼女とかほとんど作らなかったし、ちゃんと付き合う必要はないと思うけど」と言いつつ、「いつかしゅうさんにも、この人と結婚したいと思える人ができるといいですね」と言った。

まさか彼のような、王道とは程遠い人生を歩んできた人にそんなことを言われるとは思っていなかったし、彼には言わなかったけれど今回わたしは人生で10年ぶりくらいに本当に恋をしていたので、そう言われてなんだか切なくなってしまった。

でもだからこそわたしはその言葉を、心の中に大事にしまった。

 

 

honto-no-honto.hatenablog.com

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